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【131】 | RE:日本列島・九州八県。 もぐさ. (2018年05月01日 23時55分) |
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天 智 政 の 権 崩 を 御 体 掌 後 系 握 的 し 壬 な た 申 律 の 令 天 乱 法 武 を 典 天 経 の 皇 て 制 は 定 を 命 じ る |
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【167】 |
CamPaTi (2018年05月04日 21時53分) |
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これは 【131】 に対する返信です。 | |||
律令法典は、山本博文著「格差と序列の日本史(新潮新書)」によれば、 正確には、文武天皇の治世下で、刑部親王や藤原不比等らによって、 「大宝律令」として、完成します。 ただし、もぐささんのご指摘通り、天智、天武、持統と、 一貫して法体系の充実に努める流れがあったのは確かなことだそうです。 ちなみに、持統天皇は、天智天皇の娘であり、天武天皇の皇后です。 その持統天皇の跡を継いだのが文武天皇です。 大化の改新が645年、大宝律令の完成が701年です。 この55年ほどの間に、急速に法体系が作られていきました。 そして、僕が驚いたのは、大宝律令で使われている法律用語が、現在でも使われている、ということです。 特に官僚社会では、そのころの用語がそのまま使われているそうです。 そんな古い用語が今も使われているということが何を意味しているのか、 現代日本人は真剣に考えた方がよさそうです。 |
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