トピック |
辞めたい人〜 応仁の乱 (2012年01月16日 20時29分) |
▼パチンコという挫折運動 パチンコのようなギャンブルはまさに無気力を身につける行為だといえる。パチンカーは座った台が当たってほしいと望んでいるが、たいていの場合、その期待は裏切られる。たまに勝つ日があっても、その金を使ってさらなる負けの日を増やすだけとなる。パチンコ屋に行ってハンドルを握って念じるというパチンカーの「努力」は、ことごとく無駄になるのである。 パチンコという産業が継続的に営業を続けていくには利益が出なければならない。胴元が儲かる構造になっているのは当然のことといえる。つまり、パチンカーというのは、負ける構造の中で当たり前のように負け続ける人々である。 しかも、そのときの結果を左右するのが運になるので、そこに費やしている時間とエネルギーにたいし、成果はまったく比例しない。仕事や学問であれば、10年ひとつのことに打ち込めば相当のレベルに到達するものだが、ギャンブルにおいては時間がまったく味方しない。パチンカーは、どれだけやっても負け続けるので、自分が理不尽な運命にあるという被害意識を持ちやすい。 当然ながら、運に翻弄されつつ挫折を重ねてしまえば、何かに努力することが馬鹿馬鹿しくなってしまう。パチンコという運頼みの受動的な行為に慣れきってしまい、しかも結果は挫折ばかりで自信を失う。このようにして、パチンカーは日々無気力を身につけていると考えられる。 しかも、これは無意識で進行する事態なので、自分が無気力になっていることを本人は通常気づかない。人間は自分の性格の変化に気づかないものだが、日々の経験というのはその人を静かに変えていくものである。騒音にさらされた子供がいつのまにか無気力な人間になるように、パチンカーも日々のパチンコ行為によって、無気力な人間になる。 ▼自己信頼も低下していく パチンコによって引き起こされるのは、無気力の獲得だけではなく、自己信頼の低下という深刻な状況がある。自己信頼とは、自分への認識が安定している状態のことで、一言でいえば、自分に自信がもてる状態だと理解できる。 たとえば、仕事、学問、スポーツ、芸術といった活動のように、自分の中に肯定的な進歩が確認できたり、その行為自体に価値を感じることができると、自己を強化しているように感じるものである。それが自分を肯定できる存在として認識する要因となり、ますます努力するという好循環が生まれる。 ▼泥沼と化すパチンコ習慣 パチンコによって徐々に無気力になったパチンコ依存者は、反面パチンコだけには熱心になる。人生を立て直す努力はできなくても、不思議とパチンコ店に通う努力だけはできるものである。たとえば、パチンコのために必死になって金策に走ったりする。 これは非常に皮肉なことなのだが、長年のパチンコ習慣によって自分への信頼がなくなってしまったからこそ、パチンコにすがりつくことになるのである。すでに無気力な状態になってしまっているので、実生活で何も努力ができない。しかし、一時でも自分の自信を回復してくれるもの、自己批判を外してくれるもの、現実を忘れさせてくれる酔いが欲しくなる。残るのは、お手軽に一時の勝利感が得られるギャンブルだけとなり、賭け事にしがみつくこととなる。 これこそ、パチンコ習慣によって身に付いた精神の停滞状態とは言えないだろうか。ギャンブルだけには熱くなるが他のことはまったく無気力になる、というパチンカーの一般的な姿である。上記で述べたように、これは生まれつきの性格が原因というよりは、単にパチンコという習慣を続けた結果必然的に訪れた事態なのである。パチンコを続けていれば誰にでも起こりうるのである。 これ読んで本気で辞めてみようと思う人、いない? |
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■ 10件の投稿があります。 |
【1】 |
【10】 |
もみじせんべい (2012年01月29日 23時37分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
この文章よんでもやめるきにはならないが 最近は出にくいスペやら店のサービスが低下 してきたからほんとやめようと思ってます 時間と金がもったいなくてバカバカしくな ってきました 別のことに時間を さこうと思います |
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【8】 |
雀鬼ア力ギ (2012年01月22日 23時31分) |
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これは 【7】 に対する返信です。 | |||
>チミはチミだけの世界で満足してるだけやでチミのばやい(超ヘソ茶) その通り。 ってか、単なるヨッパの暇つぶし キミもその一人 にすぎない サンクス、肴クン。 マジやで。 |
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【7】 |
瀕死の軽症 (2012年01月22日 23時25分) |
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これは 【6】 に対する返信です。 | |||
ゴジラ、お前にマジレスしてくれる人おるんか?ww いい加減悟れや^^ チミはチミだけの世界で満足してるだけやでチミのばやい(超ヘソ茶) トピ主さんに迷惑やからこれでやめとくで |
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この投稿に対する 返信を見る (2件) |
【6】 |
雀鬼ア力ギ (2012年01月22日 22時07分) |
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これは 【4】 に対する返信です。 | |||
オマエアホ。 成りすましできるはずがない。 あほすぎる。 文面が違いすぎる。 自覚しろ。 ノータリンw |
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【4】 |
瀕死の軽症 (2012年01月22日 22時00分) |
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これは 【2】 に対する返信です。 | |||
>トピ文全く読んでない、ゴメン。 ゴジラ、お前どんだけ子供やねんw(ヘソ茶) トピ読まないで、なんで出てくんねんドアホ! トピ主さんに失礼やろ!!! >充実した一日を送りたいので >アドバイス宜しく 自分の意見もいえないヤツが、なんで一方的にアドバイスやねんww いうたやろ、チミが出てくるとトピがグダグダになるねんw(超ヘソ茶) 空気読めや、ジジイのばやいww |
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【3】 |
なんか無理がある (2012年01月21日 07時47分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
単なる娯楽に過ぎないパチンコと 「仕事、学問、スポーツ、芸術」を同列に比較すること自体無理がある。 >仕事や学問であれば、10年ひとつのことに打ち込めば相当のレベルに到達するものだが 時間に相応なレベルに達するとは限らん。 だから挫折する人もいる。 結果、自己肯定ができなくなる人もいる。 しかし、それは、「仕事・学問・スポーツ・芸術」が 自己の存在や価値評価に大きくかかわるようなことであるからこその話。 「スポーツ」「芸術」を単なる娯楽として楽しむ人であれば スポーツや芸術の挫折が大きな自己否定につながることはまず無い。 むしろ、運の要素が大きなパチンコでの負け⇒ 挫折⇒自己否定につながるとする方が不思議だ。 「所詮運次第」であるなら「自己の能力を否定する」ことにはつながらないだろう。 >当然ながら、運に翻弄されつつ挫折を重ねてしまえば、何かに努力することが馬鹿馬鹿しくなってしまう。 「パチンコに対する」努力がバカバカしくなると言うなら分かるが パチンコがうまくいかないことで、「あらゆることに対する」努力が無駄と思えるようになると言うのは おかしいのではないか? たとえば、ゲームをする人間が、そのゲームに勝利できないことで 自己否定することになるだろうか? >自分が理不尽な運命にあるという被害意識を持ちやすい。 これは否定できない。 現実において、努力がそれに比例して報われることは決して多くないが 多くの人は、普通、自分が費やしたものと対等以上の結果が得られることが「当たり前」と考えてしまう。 そして、そうならないことを「理不尽」と感じる人もまた多い。 >パチンコという運頼みの受動的な行為に慣れきってしまい、しかも結果は挫折ばかりで自信を失う。 |
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【2】 |
雀鬼ア力ギ (2012年01月20日 01時49分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
トピ文全く読んでない、ゴメン。 オレ行きたいけど行けない人 ってか、朝が起きれない から、行けない で、仕事までの時間ぼ〜っとすごしてる どうしたらいいかな 充実した一日を送りたいので アドバイス宜しく 何か、勘違いレスしてる… パチに行きたいけど行けない 朝起きれないから、チョイパチしたくないから 朝起きる秘訣何かあるかな? 支離滅裂 尻もメツレツやけど夜濾死苦 |
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【1】 |
応仁・文明の乱 (2012年01月17日 23時38分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
▼ニート急増 無気力について考えるこのページで、ニートについても考えてみたい。成人しても働かず、かといって勉学や技術習得をしているわけでもない人々をニートという。親元にパラサイトしつつ、特に将来の展望を持たないまま日々を過ごすことになる。日本ではこのような若者が急増しているという。 ニートと呼ばれる若者が急増している原因として、メディアでは様々な分析が紹介されている。不況によって就労機会が少ない、価値観の多様化で生きる方向が見つけづらい、もともとそういった気質がある、豊かな社会になったため危機感がない、日本全体として将来に希望が感じられない、などなど。 そういった概論はどれも一定の説得力があるが、実際にはその人が今までどのように日々を過ごしてきたか、現在どのように日々を過ごしているか、といったことの方が重要だと考えられる。というのも、習慣が人間を作るものだからである。 ▼ニートの日常 とすると、まずはニートと呼ばれる若者が日々どのように過ごしているかについて注目しなければならない。そのような若者は、自己を強化するものとして日常を経験していない可能性がある。 たとえば、何らかの目標をもって努力している若者がいるとしよう。そのような若者と、一般にニートと呼ばれる若者とでは、社会的立場はそれほど変わらない。しかしながら、前者は自己を強化している感覚をもちつつ日々を経験し、後者は自己を否定するような感覚を持ちつつ日常を過ごしている可能性が高い。他人から見ると一見違いはないモラトリアムを過ごす若者でも、180度正反対の人生経験をしているといえる。 ▼ニート誕生のきっかけ 仮にニートと呼ばれる若者がそういった日常を過ごしているとすれば、そのきっかけは何だろうか。若者の状況はそれぞれ千差万別といえるので、一つの枠で理解することはできない。しかし何割かのケースとしてパチンコとの関連は無視できないと思われる。 90年代に第3次パチンコブームがあったが、特に若者の間でパチスロが大流行した。それとニートの急増が一致しているが、これは偶然だろうか。少なくとも、断章にあるように、高校あるいは大学在学中にパチンコ・パチスロにはまりニートとなった若者はそれほど珍しくないのである。 パチンコというギャンブル行為は無気力の獲得と自己信頼の低下をもたらす。パチンコにはまってしまった若者は、人生にたいして無気力になっていったであろうことは想像に難くない。若者にギャンブルを覚えさせれば働かなくなってニートとなる、というのは当たり前のことではないだろうか。 パチンコというギャンブル場が各地に存在し、レジャーを装っているために危険性が認識されず、日々若者達を無気力な方向へ導いている。フリーターやニートが社会問題化している現在でも、日本中に蔓延したパチンコは一向に問題視されていない。これが紛れもない日本の現状である。 |
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