トピック |
強く優しく生きていたい。。。。 家族が一番 (2014年07月05日 04時31分) |
■1:不安な気持ちが病気や事故を招く どこの誰とも分からない人物からの嫌がらせをうけ、いつどこで何をされているか気になって仕方がない、でも気にして相手を見つけてしまえば心が痛む……そのくり返しによって、ご飯も食べられなくなり激痩せしたり、眠れない生活が続いて意識がいつもモウロウとしたりすると、どんどん肉体的なダメージを受けていくことになります。 その結果、交通事故に遭ったり、大きな病気を招いたりすることもあるんです。 ■2:全員が敵に見え人間関係が悪化 嫌がらせの影響で、誰もが信頼できなくなり、周りや他の人までも敵に見えてしまい、外に出られなくなってしまうケースもあります。 実際には、多くの人はその人が嫌がらせをうけていること自体、気がついていないケースがほとんどで、敵ということはないのですが、問題の渦中にいると、どうしても冷静な判断ができなくなり、みんなが敵に見えてしまう錯覚に陥りがちです。 その結果、うつ病という診断されることになったり、嫌がらせとは関係のない、家族や親身に話を聞いていてくれた友人とさえも関係が悪化してしまったりすることがあります。 ■3:経済的なダメージも 誰も信じられなくなってしまうと、外に出ることさえできなくなります。そのため、仕事にも行けなくなり、経済的に困窮する場合もあります。 生活の基盤であった収入も途絶えることから、さらに自分自身が追い詰められてしまいます。 嫌がらせを放置する危険性についてお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか? 悪意のある第三者からの嫌がらせ。放置しておけば、最悪の場合、離婚や死別、一家離散という危機さえありえます。そうなる前に、 現状を相談できる、法務省の人権相談などを利用するのも一つの手段です。 |
この投稿に対する 返信を見る (72件) |
■ 79件の投稿があります。 |
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【79】 |
家族が一番 (2014年09月16日 03時17分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
人は同じことを繰り返して生きていくものなのでしょう、長い目で見ても短い目で見ても。 そうして少しずつ何かが変化しているように感じるかもしれません、しかし、人は不偏や不変を求め追求し、普遍を望むのものです、何十年、何百年と時代が過ぎても、人の心にある、愛、夢、希望、執着、憎しみ、妬み、恨みなどは常にあるものでしょうし、人ゆえに人らしからぬことが出来るのでしょう、繰り返される時代の中で自分が生きられる時間はほんの僅かです、愛と憎しみが溢れる世界で、少しだけでも思いやりや優しさ、強さや厳しさを学んで生きたいと思います。 それらは自分の自己満足でしかないのかもしれません、偽善や疑心であるのかもしれません、しかし、それでも、誰かの為に何かを思い、願い、無事や安全を祈ることを忘れたくはありません。 皆様に、ささやかでも幸せがありますように・・・・ こちらに訪れて頂いた皆様 ありがとうございました。 |
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【78】 |
家族が一番 (2014年09月08日 07時05分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
蓄積された思いが弾けたようですね、仕方のないことなのでしょう、こうなれば理由は、もはや関係ないのでしょう、そうして、相手との不毛な言い合いや報復が続くのです、お互いに貴重な時間を潰しながら生産性と創造性のない労力を使うのです、その先に残るモノがあるとするならば、遺恨や苦慮からくる苦痛だけなのでしょう、時が経ち、人生を振り返ったときに気がつくのでしょうか、自分の生きれる時間には限りがあったことに、人生のほとんどは苦行からなるのに、さらに自ら苦しみを増やしていたことに、一瞬の優越感や満足感に意味が無いことに、あの方達に少しでも届くよう祈り願いましょう、ささやかでも幸せがありますように、慈悲の心が持てますように。 |
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【77】 |
家族が一番 (2014年09月06日 05時40分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
人は同じことを繰り返します、その中で日々の事柄を積み重ね経験し、成長していくものです、中には何度失敗しても、同じことを繰り返す方もいるでしょう、嫌がらせをする方は特に常習性があるようです、第三者が客観的に見て愚かだと思えても、当人にそれを伝えることは難しいのかもしれません、当人は悪意を均衡を持って発散させるのでしょう、それを見た多くの方が悪意と感じるか、感じないかの線で。 仮に、それが悪意では無いとして、悪意と感じてしまう者が居ると理解しているのにも関わらず、続けると言うことは、人の心に傷を付けていると理解した上で行っているのだと思わずにはいられません、人は神になることは出来ない、しかし、悪魔には簡単に変われるものなのかもしれません。 |
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【76】 |
家族が一番 (2014年09月01日 03時39分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
憐れみることや、気の毒に思うことが慈悲ではありません、そのように考える先には、差別や偏見を生み、相手様にとっては言葉の報復として捉えるかも知れません、慈悲の根本は、すべての命と心は平等であり、誰しもが、善と悪の心を持ち、相手に対する問いは自分への問いになる。なのです、つまり、誰かに対しての言葉も最後には自分に返ってくることになるのでしょう、憐れみを持てば憐れみが、悪意を持てば悪意が、しかし、好意と善意は返ることを望んではいけません、それは、どのような時も、自分自身が持ち続けるだけのものなのです。 |
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【75】 |
家族が一番 (2014年08月28日 04時53分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
水至って清ければ魚なく、人至って察なれば徒なし。 |
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【74】 |
家族が一番 (2014年08月25日 01時04分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
「茲心非心」(じしんひしん)と割って「この心、心に非ず」、自分の心を中心とするのでなく、相手の心を心として生きる、いっさいの衆生と平等であるという自覚に生きることが慈悲である。意識をすればするほど、出来そうで出来ないのかもしれません、しかし、本来、人の心の底に染み込んでいるものだと、思わずにはいられません。 |
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【73】 |
家族が一番 (2014年08月21日 04時26分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
ただ風のように、ただ波のように、ただ川の流れのように、激しいときもあれば、穏やかなときもある、今も昔も変わらないのは、絶え間なく、必ずどこかで流れている、この世は流れの中にあるということ。 |
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【72】 |
家族が一番 (2014年08月18日 02時06分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
それらを行う者を、可哀想な人だと思うこともありません、残念な人だと思うこともありません、怒りを覚えることもありません、哀しみを覚えることもありません、喜びを覚えることもありません、人は誰もが、どこかで、復讐心や報復心を持っているのでしょう、しかし、人は限られた時間の中でしか生きられません、人の時間には限りがあるのです、報復や復讐に時間と労力を取られ、時間が切れたときに、どのように思うのでしょうか、満足感を抱いたまま眠ることが出来るのでしょうか、それらを行い後悔や孤独を感じたまま人生が終わるのならば、虚しく寂しく哀れだと言えるのなら言いましょう、ただただ、少しでも、幸せが訪れるようお祈り致します。 |
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【71】 |
家族が一番 (2014年08月18日 01時43分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
対立、報復、粗探し、追及、証明、このような掲示板では果たして意味があるのでしょうか、それが達成された先には何があるのでしょうか、満足感、達成感、充実感、それらを感じることは出来るのでしょうか、それを感じられるからこそなのでしょうね、そしてその満足感は一瞬のことなのでしょう、ごく限られた一時的な自分の気持ちを宥めることしか出来ないのでしょう、それを繰り返すたびに、今までと同じことでは満足感を得ることが出来なくなり、さらにエスカレートしていく、その段階で目的が変わっているのでしょうね。 |
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【70】 |
家族が一番 (2014年08月16日 02時55分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
執着、偏執、固執、我執、皆だれもが持つものなのでしょう、それが人ならばなおさらのこと、しかし、それが過ぎると、どのような方向に向かうのでしょうか、おそらく、悲しみ、哀しみ、虚しさ、愚かさ、自分では気が付かない孤独感が残るのでしょうか、その孤独感に気が付く事が出来ずに、それを得体の知れない恐怖だと感じ、その恐怖を払拭しようとそれを繰り返す、それが人なのでしょうね、慈悲の心を忘れずにいたいものです。 |
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