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【158】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時21分)

【号 外】

読売新聞大阪本社社会部で
河井からの第一報を受けたのは岸本弘一だった。

「銀行強盗発生!」

岸本の声にこの日、夕刊担当の勤務を終え、
天丼の鉢に顔を突っ込んでいた
社会部デスクの池尻潤冶が
しわがれた声で「どこや」と聞いた。

「三菱銀行北畠支店」

「どんな様子だ」

「ピストルを持っているらしいです」

池尻の前で岸本が府警ボックスのホットラインの情報を
周囲に聞かせるため大声で反復した。

「なにっ? 犯人は猟銃で脅している?
 警官が撃たれた? 人質は三、四十人?」

社会部長席の黒田清が叫んだ。

「号外要員を残して全員、現場へ行かせろ!」

いち早く飛び出したのが岸本と
遊軍の大谷昭宏、織田峰彦の三人だった。

織田は双眼鏡を持ってくる岸本を待っていたが、
大谷はそれにかまわず一人で
無線カーに飛び乗り、出発した。

車の中で大谷はめまぐるしく頭を回転させた。

かつて南大阪方面を担当していた大谷は
播磨町あたりの地理に詳しい。

三菱銀行北畠支店は大阪南のターミナル、
阿倍野橋からさらに南に2・5キロ、
播磨町交差点にある。

現場に早く着くには阪神高速を天王寺ランプで下りて
阿倍野近鉄前を南下するか、
玉出ランプから東へ向うか
どちらが早いか判断がつきかねていた。

無線機からは本社でキャッチした
事件の情報が刻々と流れてきた。

「銀行内で銃撃戦 …… 」

「警官負傷 …… 」

こいつは、現場は相当に混乱しているぞ。

無意識のうちに身震いした大谷の頭に前夜遅くまで
酒を飲んだ悔いがチラッとかすめた。

このとき、府警機動捜査隊のシルバーメタリックと
茶色の二台の覆面パトカーが赤色灯を載せ、
けたたましいサイレンを鳴らして追ってきた。

「よしっ、あれにつけろ」

大谷はドライバーに怒鳴った。

無線カーは大谷の指示に従いパトカーをやりすごして
ピタッとその後ろにつけた。

うまい具合に後発の岸本、織田、
カメラマン二人を乗せた
ベンツがすぐ後ろについている。

一団となった車が他の通行車を
はじき飛ばす勢いで天王寺ランプを下りた。

ここからは南へ一直線で2・5キロ。
しかし、案の定、高速道路を下りたとたん、
阿倍野近鉄前の大渋滞にぶつかった。

交差点では数人の警官が仁王立ちになって
南行きの車を東西の幹線に迂回させていた。

パトカーについた二台の車は
申し合わせたようにライトを付けた。

先行車の大谷が助手席から身を乗り出し、
車に常備した赤色の懐中電灯を振った。

パトカーの後続の二台は交通阻止線を越え、
規制区域に入った。

その横を黒いセドリックが追い越していった。

大谷昭宏の視界に府警本部、新田勇・刑事部長の
緊張した横顔がチラッと見えた。


読売新聞大阪本社では夕刊の印刷が終わり
ひとときの静けさを保っていた地下三階の輪転機が
再び大きな音を立てて回り始めた。

「銀行強盗、猟銃乱射」

やがてベタ黒凸版のぶち抜き
大見出しを付けられた号外が刷りあがった。
【157】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時10分)

【一 報】

午後二時四十分、
大阪府警察本部二階記者クラブの壁に取り付けられた
スピーカーに広報部員の声が響いた。

「通信司令室からの第一報です。
 十四時三十五分の110番。
 銀行強盗人質事件の発生です。
 場所は住吉署管内、三菱銀行播磨町北支店。
 犯人はピストルを持っているとの情報があります」

記者クラブ読売ボックスは担当記者九人のうち、
サブキャップの河井洋を含め五人がいた。

この日宿直明けの暴力団担当の
ヤマチョウこと山本長彦(おさひこ)が
ちょっと眠るか、とソファに横になったときだった。

「ほんまかいな」

なかば体を起こしながら山本は言った。

つい数日前にも曽根崎署管内で銀行と
通信司令室を結ぶコールサインが鳴り
現場に駆けつけたが機械の故障だったという
騒ぎがあったばかりである。

二課担当で十年記者の四ノ宮泰雄が
本社との連絡を河井にまかせて
目の前の棚から電話帳を引っ張り出した。

しかし、三菱銀行の欄には
「播磨町北支店」はなかった。

播磨町にあるのは「北畠支店」である。

警察はえらい慌ててるなあ、
と思いながら電話を入れる。

呼び出し音は鳴っているが、応答がない。


「ほんまもんやでぇ」


四宮の静かな口調にボックス内に緊張が走った。

四宮は受話器を置かずに待った。

ジーン、ジーン ……  相変わらず鳴り続けている。

二十秒、三十秒・・・・

そのとき、一課担当の桝野恵次が
体をぶつけるようにして
ボックスのドアを開け、飛び込んできた。

「えらいこっちゃ、猟銃で警官二人が撃たれたらしい。
 人質もいるらしいでっせ。すぐ、現場でんな」

四宮があきらめかけたころ、
突然、受話器の向こうで男の声がした。

あきらかに舌がもつれている。

―――― どうされたんですか

「一階でバタバタしているけど、様子はわかりません」

―――― そこは二階ですか

「はい、そうです」

―――― 下にいる行員さんの数は?

「さあ、はっきりわかりません」

―――― 支店長のお名前は

「モリオカコウジです」

電話はそこで切れた。

「五人ほど、現場へ行ってくれ!」

サブキャップ・河井の声を待っていたかのように
記者たちは飛び出した。

ボックスでは河井が広報部員からの
断片情報を元に本社と結ぶホットラインの
受話器に向って、がなり続けていた。


<行員二名負傷>

<犯人は五千万円を要求、猟銃で脅している>

<警官二人が撃たれた>

<店内の人質は三十五人程度>


大変な事件であることは明らかだった。

午後三時、京都国際会議場の
近畿地区本部長会議に出席していた
吉田六郎大阪府警本部長の下にも事件の一報が届いた。
【156】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時03分)

【篭 城】

梅川昭美が三菱銀行北畠支店に
侵入してからちょうど三分後、
東側玄関から制服警官一人が飛び込んできた。

自転車で近くを警ら中、
銀行から逃げ出してきた女性客に
「強盗です!」と告げられ駆けつけた
住吉署警ら第二係長の警部補(四三)=殉職後、警視に二階級特進=だった。

警官は拳銃を構えていた。

梅川にとって初めて対等の敵が現れた。

「銃を捨てろ!」

警官は叫び、天井に向けて一発、威嚇発射した。

「撃てるもんなら、撃ってみろ!」

梅川は凄み、やみくもに散弾銃の引き金を引いた。

二発が頭と胸に命中、警官は
「110番、110番……」と
叫びながら血の泡を噴いて絶命した。


近づくパトカーのサイレンに梅川はすかさず身構えた。

二時三十七分、大阪府警通信司令室から
指示を受けた阿倍野署のパトカー
「阿倍野一号」が支店北側に到着。

警ら第二係りの巡査(二九)=殉職後、警部補に二階級特進=がパトカーから飛び出し
北側玄関から行内に駆け込んだ。

梅川の散弾銃はまたしても容赦なく火を噴き、
巡査は胸をハチの巣にされ
ロビーにもんどりうって倒れた。

続いて完全武装の機動隊員らが突入を始めた。

興奮した梅川は散弾銃を乱射した。

辛うじて防弾チョッキで
鉛の散弾をはじいた隊員はやむなく引き下がる。

次々に到着するパトカーのサイレン。

ジュラルミンの楯のぶつかりあう音、
機動隊員の激しい靴音。

警察の包囲が急速に厚くなりつつあるのは
行内でもよく分かった。

「逃げ場がない」

梅川は舌打ちした。

篭城の決意はこのとき、固まったのだろう。

午後二時四十分、
梅川は近くにいた行員(四八)を呼びつけ、
北と東の二つの出入り口と東側ATMコーナーの
シャッターを全部下ろすよう、命じた。

機械音とともにシャッターが下り始める。

外の警官がそばにあった自転車と立て看板をかまし、
二ヶ所のシャッターは下から
四十センチのところで停止した。

梅川は北西側の二階への階段に
ロッカーや机でバリケードを築かせると
自分は支店長席に陣取り、アゴをしゃくって命令した。

「全員、手をあげてカウンターの中に集まれ!
 逃げると撃つぞ!」

二時四十九分、カウンターの陰で身を伏せていた
主婦と二人の男児を見つけた梅川は
「ボク、立てや」と声をかけ三人を解放。

梅川は行員をカウンター内に一列に並ばせ
「責任者は誰や」と尋ねた。

銃口がサーチライトのように列をなめ回す。

支店長(四三)が「私です」と三歩前に出た。

「金を出さんかった、お前の責任や!」

銃声一発。

胸に至近距離からの散弾を浴び、
支店長は崩れ落ちた。

顔をそむける女子行員らに
梅川は笑みまで浮かべ言い放った。

「五千万円をおとなしく出さんかった、
 お前らの上司が悪いんや。
 分かったか」

そして、改めて人質を並ばせ
「一」「二」と点呼をとらせた。

それが殺される順番ではないか、と人々は怯えた。

番号は三十七番で終わった。

「病人はおるか」

主婦が「妊娠しています」と申し出た。

「よし、出ろ」

カウンター内の人質は三十六人となった。


散弾銃を手にした梅川が
不敵な笑みを浮かべて言い放った。


「お前らにソドムの市を見せてやる」
【155】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時24分)

【乱 射】

昭和五十四年(1979)年一月二十六日、
金曜日の昼下がり
寒の内とは思えぬ陽気の日だった。

午後二時、大阪地方気象台の観測気温は
平年より4度高い12・8度まで上がり
道行く人々は久々にコートを脱ぎ、
暖かい日差しをむさぼっていた。

大阪市阿倍野区播磨町交差点の三菱銀行北畠支店の
一階フロアはこの日、顧客への「感謝デー」として
粗品サービスの前宣伝の効果もあってか
ふだんより客足がよく、窓口の女子行員たちは
ひときわ笑顔をふりまいていた。

機敏な指先に札束が扇に広がり、踊っていた。

「あと三十分で窓口業務は終了」

総ガラス張りの壁の中で忙しく立ち働く行員たちも
ふと、心浮き立つひとときだった。





それは三発の銃声で始まった。



午後二時三十分、一台のライトバンが
銀行北西側の駐車場に乗り付けられ
アフロヘアにレジャー帽、マスクを付け
ミラーのサングラスをかけた男が飛び出した。

きついヘアトニックの香りをさせた
梅川昭美(あきよし)=三十歳=は
自動ドアを風のようにすり抜けて
銀行内のロビーに入った。

手にしたニッサンミクロ
上下二連式の散弾銃が鈍く光る。

梅川はロビーに踏み込むや、
いきなり一発目を天井に向けて発射した。

ソファに座って呼び出しを待っていた客が
ギョッとして腰を浮かせ
女子行員は札束を投げ出して悲鳴をあげた。

二、三発目の轟音が
コンクリートとガラスの壁を震わせた。
爆発か、地震か、わけの分からぬ混乱が行内を包んだ。

「伏せろ、伏せろ!」

行員と客に向って梅川は戦場の指揮官気取りで命令し
持っていた赤いナップザックを
荒々しくカウンターに投げ出した。

「金を出さんと命はないぞ。
 十数えるうちに五千万円用意しろ!」

行員たちは初めて強盗犯が
乱入してきたことに気づいた。

カウンター北東側の非常電話に
男性の営業係員(二〇)が飛びついた。

「強盗だ!早く110番してくれ!」

逃げ惑う人々の中でその理性的な行動はたちまち
梅川の目にとまった。

「何をしやがる!」

梅川はわめきながら走り寄ると、
なぐりかかるように散弾銃の銃口を向けた。

男子行員が銃を振り払おうとした時、
四発目が容赦なく火を噴いた。

数十個の鉛の散弾が男子行員の
右顔面から首筋を粉砕した。
男性は床に崩れ落ち、主を失った受話器が宙に揺れた。

すぐ隣にいた貸付係りの男性(二六)は
床にしゃがみこんで身を隠そうとしたが、
梅川はこれも電話連絡をとろうとした、
と、誤解したのか、再び引き金を引いた。

散弾は後頭部に命中、貸付係りの体も床に吹っ飛んだ。
散弾の一部は床や壁に当たって跳弾となり、
カウンター東側で身を伏せていた
女子行員の左腕に食い込んだ。

悲鳴の中、定期預金の入金手続きに来ていた客の主婦と
来客係りの行員二人が店外に飛び出した。

行員三人の身体から血が噴き出し、
人々は銃が決して脅しのためでなく
我が身に向けられていることを知った。

梅川自身、もはや興奮の極地にあった。

営業課長代理(四五)が手元にあった
現金二百八十三万円をかき集め
恐る恐る差し出した。

「早くそれにつめろ」

課長代理が震える手でリュックに
詰め込むのをせかしながら
梅川は札の厚みを見ると不満げにあたりを見渡し、
窓口にあった現金十二万円をわしづかみにして、
ポケットにねじ込んだ。

無傷だった行内の人々は

「これで犯人は逃走するだろう。命だけは助かった」

とひそかな安堵を覚えた。

梅川自身「三分以内ならパトカー到着前に逃げ出せる」と計算して
銀行西、五百メートルの路上に
愛車のマツダ・コスモにキーを付けたまま
逃走用として停めていた。

しかし、次の瞬間、
梅川にとって予期せぬ事態が発生した。
【154】

一周年・謝意  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時53分)

爺いの暇つぶしで始めた
書き物トピも、なんとか通算一周年を
迎えることができました。

これを機会にクレジット【1】に目次を作りました。

この間、気持ちよくスペースを
提供していただいた方々に
この場を借りて改めて御礼申し上げます。


平成二十七年 正月


野歩the犬
【153】

あとがき  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時30分)


ちょうど一年前、悪魔のキューピー・大西政寛伝を
書き始めたときから
山上光冶が頭にちらついていた。

どちらも死亡時の中国新聞社会面に
「殺人鬼」の見出しが躍り
その後二十五年の長きにわたる
広島ヤクザ抗争の萌芽たる人物だったからである。

岡敏夫によって二度の死線をくぐりぬけ、
村上組との抗争の先陣となって自決した山上光冶は
親分に忠誠を尽くし、最後は組織に迷惑をかけずに
「落とし前」をつけた「広島極道の鑑」として
伝説化されている。

しかし、その神話も史実を洗い出してゆくと
一抹の翳りが見えてくるのだ。

まず、広島第一次抗争といわれる
岡組対村上組の対立構図が不鮮明な点である。

なぜ、舎弟関係にあった村上組が
一方的に岡組に噛みついたのか。

実は岡敏夫は地元で「ワッサリ」と呼ばれる
被差別地区の出身であった。

つまり戦前からの「金筋の博徒」ではなく、
終戦直後の混乱期に朝鮮連盟や台湾人らを
うまく抱きこんだ新興ヤクザであった。

戦前から神農道としてテキヤの、
のれんを守ってきた村上組にとって
ワッサリが広島の覇権を握ってゆくのが
大いに面白くなかったのである。

岡敏夫本人も出自については卑下しており、
自らの勢力が拡大してゆくにつれ、
周囲に対し疑心暗鬼となってゆく。

突如、舎弟分の村上正明に命を狙われながら
「追うな」と指示したことが、如実に物語っている。

無期刑で服役中だった山上に
西村よし子の再婚話を吹き込んだ
高橋国穂に対しても同様であった。

そこへ断食のジギリをかけて出所したのが山上である。

岡は山上が蘇生するや、よし子との仲を認めつつ、
山上を殺人マシンとして操縦し始めた、
というのが真相である。

よし子の再婚話は山上の無期刑のもとでは、
現実に進行していた。

高橋国穂の全くの作り話ではなかったのである。

山上の死後、岡組と村上組の抗争は
当時の団体等規制令で
双方の組織が一時解散されたことで
表面上は終息したか、に見えたが
昭和二十七年(1952年)新設された
広島競輪場の利権を岡組が一手に握ったことで再燃、
全面戦争となる。

この過程で岡敏夫は、
かつて山上のケツをかいた(そそのかした)
高橋国穂を村上組特攻隊の仕業と見せかけるという
巧妙な手口で配下を使い、射殺している。

二年後、村上組は壊滅、岡の野望は達成される。

そして八年後の昭和三十七年(1962年)岡敏夫は
表向きには健康状態の悪化を理由に引退、
総勢百六十人という大組織の組員を
呉・山村組へと引き継がせた。

広島は再び権力闘争が渦巻き、
とき、あたかも全国制覇を狙っていた
神戸・山口組の介入によって、
山口組対本多会の「代理戦争」が展開される。


呉で土岡組から山村組に寝返った大西政寛。


広島で単身、村上組に牙をむいた山上光冶。


史実を観察してゆくと、この二人が
広島抗争プレリュードの
タクトを振ったことが判明してゆくのである。
【152】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時25分)

【エピローグ】

昭和二十三年(1948年)三月二十五日付けの
中国新聞によると山上光冶の
自決現場の様子は次のようになっている。



■山上光冶は遂に所持の拳銃で
 前額部を撃ちぬき自決した。
 現場には同人所持のブローニング四一八九八号拳銃、
 実包六発、空薬莢一個があり、
 さらに実包三発入り替弾倉一個が残されていた。




最後に岡敏夫氏談が掲載されている。



■「世間では山上のことを殺人魔といっているが、
  彼は巡査事件の場合は泣いて非を悔い
  その他の殺人については彼らしい正義感から
  ヤクザ以外の人に迷惑をかけないのが
  信条と語っていた。
  私が身元を引き受けていたので
  世間を騒がせたことについては
  責任を感じている。
  ただ、最後に警察官や一般の人に迷惑をかけずに
  自決してくれたことをせめてもの幸せと
  思っている次第だ。
  逃走経路については自分には全然連絡がなかった。
  家庭愛に飢えていた彼の短い生涯を
  気の毒に思っている。
  自分の力で自首させることが
  できなかったのが残念だ」


山上光冶の葬儀は岡敏夫が
柳橋の本宅で全てを取り仕切った。

広島東警察署長も焼香に訪れた。

「最後は立派な男じゃった。
 一人も撃たんで迷惑かけずにの、
 自分で命を絶ったんじゃけん」

岡の手前もあるだろうが、警察医も述懐した。

「こんなんは、度胸もんじゃったよのう。
 電車の中で会うたら逃げんで挨拶に来たけん。
 ま、出所のときから解剖まで
 なにかと縁のある男じゃった」



山上が自決の際に使用した拳銃は
警察自体に拳銃が不足していた時代ゆえに
刑事が持っている、という噂になった。


ブローニング38口径オートマチックは
銃把の部分にインディアンの顔と
その頬から口に黄色い矢が刺さっている
絵が彫りこまれていた。

短い生涯に壮絶なジギリを張り続けた
山上を象徴するデザインである。


山上の死後、西村よし子は刑務官の妻となって
落ち着いた生活に入った。

山上が炭焼き小屋にこもった
山麓の瑞泉寺には
山上家累代の墓があるが、
その墓碑銘に山上光冶の名はない。

遺族がその名を刻むことを
強く拒んだから、だという。


(ジギリ狼・完)  
【151】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時18分)

【叫 弾】

広島市猿侯橋町の日劇前一帯は
柔らかな春の夕暮れが訪れていたが、
騒然とした雰囲気だった。

山上光冶がとび込んだ商店街は武装警官隊が取り囲み、
自動小銃を手にしたMP一個小隊も加わった。

群集は千人を超えていた。
その整理にあたるべく、
応援の制服警官が続々と駆けつけてくる。

岡道場にもすぐに報告が入った。

「山上さんが日劇で包囲され、逃げ出して
  商店街の果物屋さんにとび込んだそうじゃ」

「MPが自動小銃を向けとる」

「もう、あたりは黒山の人だかりじゃ」

道場には丸本繁喜はじめ、数人の若い衆がいた。

「なんとか逃がせんじゃろうか」

「そら、無理じゃろう。
  できれば逃がしてやりたいが、のう」

丸本らも現場に駆けつけた。

時刻はすでに五時半に近かった。

MPの投光器であたりは真昼のように明るく、
夕暮れとの明暗が異様である。

丸本らは群集をかき分けて最前列に出た。
店内はひっそりとして、なんの物音もしない。

「山上、おとなしく出て来―い。
  もう、逃げられんぞ!」

「包囲は完了した。家の人に迷惑をかけんよう、
  出て来―い」

「山上、出てこんとこちらから行くぞ、
  無駄な殺傷はやめるんじゃ」

警官隊が口々に叫ぶ。

「カモン、ボーイ」

「ヤマガミ、カモン」

MPの声もその中に混じった。

山上はすでに自決を覚悟していた。

「警察が出て来い、いうたらいつでも出ちゃる。
 往生せい、いうたらいつでも往生しちゃる」

と語っていたように、
一月に二人を相次いで射殺して以来、
徐々に心に落ちていた死への覚悟が
包囲しながら撃ってこない警察に対し、
ゆっくりと固まっていたのかもしれない。

死への恐怖はなかった。

村上正明らのリンチによる仮死、
刑務所内での断食で二度も医者に見放され、
すでに死は経験済みだった。

山上は菅重雄を射殺した段階で自らの無期刑もあって
すでに人間としてのバランスを失っていた。
逃げる以外、生きる道はないのだ。

しかし、山上には村上正明に対する復讐と
二度も生命を救ってくれた
岡敏夫への報恩という目的もあった。

だが、山上は村戸春一の岡組襲撃で
再びバランスを失い、配下の二人を射殺してしまう。
そこから振り子が復元することは
もはや、不可能だった。

山上は客観的にも内面的にも
殺人マシンと化してしまった。

山上は淡々とした心境でこの日を迎えたのだろう。

一度は逃げてみたものの、袋小路に変わりはなく、
逮捕されても待つのは「死」のみである。

山上はここから実に冷静な行動をとる。

とび込んだ果物屋の風呂場に身を隠そうとするが、
すぐ近くですくんで動けなくなっている
店の主婦に声をかける。

「迷惑かけて、すまんのう。
  成り行きでとび込んだもんじゃけえ。
 ほいでなんじゃが、も少し、迷惑かけるけん、
  これ、貰うてくれんじゃろうか」

山上は懐中の有り金全てを
震える彼女の手に握らせるのである。
有り金はそこを血で汚すことの賠償金の意味であった。

金を渡した山上は外へ向って
あらん限りの大声で叫んだ。

「おーい、誰か道場のもん、おるかぁ。
 おったら聞いてくれー。親分を頼むぞー。
 くれぐれも親分を頼むぞ――っ
 それからみんな、長い間、ありがとうなー、
  ありがとう――!」

叫び終わった山上は風呂場へ戻ると
五右衛門風呂の中に小柄な体を丸めて潜り、
自ら木蓋を閉じた。

そして愛用のブローニング38口径を
右こめかみに当て、引き金に力をこめた。

バ――ン!

くぐもったような銃声とともに
山上光冶の生涯はそこで閉じられた。
【150】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月05日 14時48分)

【包囲網】

■昭和十八年 (1943年)  傷害致死
■昭和二十一年(1946年)  警備員(のち、巡査昇格)射殺
■昭和二十二年(1947年)  村上組、菅重雄     射殺
■昭和二十三年(1948年)  村上組預 山口芳徳
                 同   吉川輝夫   射殺

二十四歳にしてすでに五人の生命を奪った山上光冶は
すでに自死を決意していたのであろうか。

二月に入り、梅の香が漂いだすと
山上は昼夜をわきまえず
大胆にもその姿を広島市内に見せるようになる。

山上は自死にあたっては村上弘明、村戸春一を
道連れにする覚悟だった、と思われ
情報に飢えていたのかもしれない。

しかし、二人の消息は絶たれたままであり、
仲間からの密告もない。

山上は焦燥の中で二人の匂いを追いかけた。

山上は岡敏夫が道場に顔を出さなくなったことを
いいことに猿侯橋の道場に連日のように顔を出し、
時には大胆にも手本引きの客の一人として紛れこんだ。

当然、警察の追及は厳しくなった。

山上が常に拳銃を手放さないことを知り、発見次第
武装警官隊を出動させ包囲する手筈を整えていた。

MPからも抵抗すれば「射殺可」の命令が出ていた。

菅、山口、吉川の三人に発砲された銃弾が同一とあって
山上はもはや「殺人鬼」としてとりあげられている。

三月中旬、山上は呉線の電車内で
思いもよらぬ人物と出会った。

山上が断食のジギリを張り、
岡敏夫の許に引き取られた際

「これは、もう、つまらん」

とサジをなげた警察医である。

ふっと視線が合った山上は
車内が空いていたこともあって
少しためらいを見せたが、
すぐにつかつかと歩み寄った。

このころの山上は丸坊主頭にしていたものの、
三白眼を伏せ

「先生、見逃してつかあさい」と丁寧に頭をさげた。

「わしも警察医、じゃけの」

「ご迷惑をかけてすまんです。恩にきますけ」

山上は警察医の声が穏やかなので安心したのか、
再び頭をさげると別の車両へ足早に移っていった。

そのことが警察へ伝わったかどうかは定かではないが、
警察は広島駅前から猿侯橋町一帯に
連日、厳重な警戒網を敷いた。

もちろん、山根町の西村よし子宅も
二十四時間、刑事が張り込んだ。

三月二十三日、霞がかった春の陽が傾きかけたころ、
広島駅前で中国新聞の記者が山上らしい男を見つけた。

山上が村上組のリンチに遭った事件を
耳にして岡敏夫宅を訪ねた際
不敵な嘲笑と三白眼が印象的だっただけに、
記者は確信した。

山上は出くわした記者を避けるように早足になり、
駅前の映画館「日劇」に入った。

記者も追いすがり、背後から
「今までどこにいたのか」
「なぜ、広島に舞い戻ったのか」と小声で質問した。
もちろん自首を勧めたが、山上に聞く耳はない。

中国新聞の記者が山上を追い始めたとき、
すでに広島東署の二人の刑事が
駅前派出所へと連絡していた。

猿侯橋町の日劇一帯は武装した
二十数名の警官で包囲され始めていた。
MPもジープで乗り付けてくる。
騒然とした雰囲気に野次馬も集まりだす。

館内後部の暗い席にいて山上も
外部の異様な雰囲気を察知した。

「サツにチンコロ(密告)したんじゃろう」

山上は拳銃を手にして、記者の脇腹へ押し当てた。

「ま、まさか、わしは駅前からずっと一緒じゃろうが。
 サツに手、回すひまなんか、ありゃ、せんよう」

そのとき、四、五人の武装警官が
拳銃を手に入り口から身を滑らすと
さっと左右に散った。

同時に気配を察知した山上は体を丸めると
一気に出口に走った。

「山上じゃあ、追えっ!」


「山上が出たぞっ!」


武装警官が叫んだとき、
山上はすでに向いの商店街にとび込んでいた。
【149】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月05日 14時42分)

【破滅道】

一月七日から広島の夜は再び暗黒を増すことになる。

中国電力の全送電は四日に一日の通常配電に戻り、
家庭は三十分ずつのリレー停電に切り替えられた。

その夜の暗さを山上は十分に利用した。

警察は山口芳徳射殺犯をほぼ、
山上光冶と断定していた。

丸本繁喜の身替り自首――

何より弾丸が菅重雄射殺時と同一と判明したのである。

前年二月の菅重雄射殺以来、
秋には西村よし子の自宅を捜索したように
警察としても山上の追及を
おろそかにしているわけではなかった。

しかし、今回の山口芳徳射殺が
村戸春一の岡道場襲撃の報復と見られるだけに
山上が村上組に無差別攻撃を仕掛けてくる
公算は十分に考えられる。

警察もいよいよ本腰を挙げて山上逮捕に乗り出した。

もちろん、山上もそういう動きは十分に察知していた。

山上は山根町の地下室へは戻らず、
呉線をたどりながら
夜になると広島に潜入して
村戸一派の消息を追った。

山上は丸本の友だちから
もたらされたタレコミに当たりをつけていた。

ヨネとテル、二人の姿を見たというのに、
当日吉川輝夫の姿はなかった。

それはたまたま不在だった、と考えられ、
山口の射殺で身をかわしているとはいえ
近いうちに必ず姿を見せる、と山上は確信していた。

山上は闇を利用して辛抱強く張り込んだ。

その間、山上は何を考えていたのだろう。

西村よし子やその子供たちとの楽しい団欒、
村上組の面々から受けた壮絶なリンチへの怨み
そして二度にわたって命を救ってくれた
岡敏夫への感謝の念――。

さまざまな想念が山上の脳裏を
駆け巡っていたに違いない。

しかし、断言できるのは山上の未来への想いが
淡いものでしか、なかったことだ。

岡から「出ろ」と言われれば、無期刑か死刑しかない。

逃亡が永久に続くことが考えられない以上、
残るはまた、自死しかないのである。

山上は闇の中で目を光らせながら生ある限り、
目的遂行に全力を注ぐしかない、
と思い詰めていたに違いない。

その山上が吉川輝夫を射殺したのは
それから間もなくだった。

事件の目撃者はなく、死体を見たのも
警察か身内の者に限られていた。

岡組の面々が射殺事件を知るのは
岡敏夫自身の口からである。

「テルをいわしたけ、明日あたりなんか、あるわい。
 ガサくるか、わからんけ、道具を始末しとけいよ」

夜半にそう言われた若い衆たちは
早朝に現場と噂された場所を覗いたが、
すでになんの痕跡もなかった。

「みっちゃんから、連絡あったんじゃろうか」

「みっちゃんのことやから、ほんまじゃろう。
 それにしても、よう、いわしたのう」

岡敏夫の予言通り、その日のうちに警察は
岡組を捜索したが、もちろん何も出てこない。

射殺した弾丸が前の二件と同一であり、
警察の岡への追及は執拗だった。

「そういうても、うちに山上はおらん。
 連絡もないんでのう。
 正直いうて、わしもくたびれとるんじゃ」

岡は捜査員にそう言って、眉を曇らせた。

岡は山上には「広島へは戻るな」と厳命していた。

しかし、呉線をたどりながらも、
山上は夜になると広島へぶらりと舞い戻った。
そして、その姿はやがて大胆にも
昼の市内でも見られるようになる。
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