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【23】

贈る言葉。

パチ屋の狼 (2012年12月14日 01時39分)
海援隊ではありません。

「幸せについて、考えさせられる一言。」

今は休刊している、「月刊OUT」という伝説のアニメ雑誌の読者投稿コーナーで、堀井雄二さんが担当の時の総集編「ゆう坊のでたとこまかせ。」という本の中にあった言葉です。

「100万円持っている人と、1万円持っている人が居る。でも、どちらの人が幸せかなんて、誰にも解らないんだよ。」

これは、読者の方が学校の先生から言われた言葉だそうです。

この言葉を、ベンガルさんと、皆さんにも贈りたいと思います。

幸せは理屈じゃないんですよ。

ただ、人として間違っていると思う所があれば、それは直さなきゃいけないんです。ただ、それだけの事です。

「パパは好き、ママは嫌い。」では、ベンガルさんの家庭は幸せではないと思います。
「パパもママも好き。」になってこそ、ベンガルさんの家庭は本当に幸せになれるのではないでしょうか。

私はそう思いますし、そうあって欲しいと思います。だからこそ、差し出がましい事ながら苦言を呈したのであって、ベンガルさんにご理解頂けた事、誠に嬉しく思います。

もちろん、私は自分が全て正しいとは思っておりません。
reochan09さんの意見も同様です。これまで苦しんで頑張って来たんだから、これからはもっと人生楽しんでもいいんじゃないか。それもまた事実です。

ですが、家庭を蔑(ないがし)ろにして楽しんだとて、それは本当に楽しんでいるとは言えないのではないか?という疑問が残ります。

是非とも、ベンガルさんには、「パパもママも大好き。」と娘さんに言われる、本当に幸せな家庭を作って欲しいと思います。

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【27】

パチ屋の狼さんへ(その1)  評価

ベンガル (2012年12月15日 01時26分)

 ありがとうございます。


 何度も言いますが、しっかりと真摯に受け止め、更に精進していきたいと思います。


 「幸せは理屈ではない」


 まさにその通りですね。ある一つの事象をとってみても、「幸せ」と感じる人もいればそうでない人もいるでしょう。


 なので、物事の多くは、何が「正しく」て、何が「間違い」なのか、一概に言えない部分が多いことと思います。


 「ある事象」に対して意見が分かれるのは、ある意味、必然のことなのでしょう。


 人として間違っていると思うことを是正するのは当然のことです。


 でも、「間違い」と断言できない部分もあると感じているからこそ、人は悩むのだと思います。


 子供は非常に利口です。まだその多くは本能というか律することができていないのだと思いますが、いつも感心させられます。


 「ママは嫌い。パパは大好き」


 これは怒られた直後の幼心の一時の感情であり、本心ではありません。


 日曜日、車の後部座席で楽しそうな笑顔をみせる二人を見ていれば、鈍感な私でもわかります。


 大人との違いは、それが言葉として出てしまうか否かの違いだけ。


 今娘に質問すれば、間違いなく「ママもパパも大好き」と言うでしょう。


 私が思いを致しているのは、もっと別なところにあります。


 ただ、また繰り返しになりますが、パチ屋の狼さんの言われていることはまさにその通りですし、言わんとするところも十分理解しているつもりです。


 言い訳にしかなりませんが、私は「努力型」でも、できた人間でもありません。端的に言えば、いわゆる「ダメ人間」です。


 その中で、「今の自分に何ができるか」、「何を為すべきか」を常に考えていきたいと思っています。
【26】

パチ屋の狼さんへ(その2)  評価

ベンガル (2012年12月15日 00時24分)


 「自己を顧みず、自己を犠牲にしてまで、自己を押し殺してまで人のために尽くす」


 非常に素晴らしいことだと思います。


 でも、ある側面における限定的なものになってしまうかも知れませんが、私はこれまで生きてきて、自己が幸せで充実していないと、本当の意味で他人を幸せにすることはできないと感じております。


 家族みんなが幸せであるためには、まず自分自身が心から幸せで充実していると感じていることが大前提だと思っています。


 昨日、娘が小さい頃のことを書きましたが、当時の私にはあれが精一杯でした。


 「禁パチ」は私にとってものすごいストレスとなるでしょう。ストレスなら自分自身で我慢すればいい。


 でも、家族はそれを敏感に感じ取るでしょう。それを完全に押し殺すことは私には到底無理だと思っています。


 なので、完全に禁パチすることは私にとっても家族にとっても逆効果といいますか、全てが負に作用するのではないかという危惧もありました。


 「私が未熟なだけ」と言われればその通りですし、返す言葉もありませんが、少しずつ熟していきたいと思っております。


 人には何かしらの「楽しみ」というか「よりどころ」が必要だと思っています。


 それがあれば辛い状況や困難も乗り越えていける。


 そういう日常に身を置いているということが、人が幸せを感じることのできる一つの過程だと思っています。


 自己の経験から、「お先真っ暗」だったら、明日への活力すらなかなか見出すことができませんからね。


 そしてそれは妻や娘にとっても同じこと。


 妻にとっての楽しみは何だろう。家事を一切忘れての友人とのショッピングだろうか、お酒の好きな妻のことだからやっぱり飲み会だろうか、それとも綺麗になれる美容院かな、はたまたもっと別の・・・


 娘にとってはどうだろう。娘にとっての日曜日は・・・


 そんなことをいつも考えています。


 もし、妻や娘が現状に少しでも「幸せ」を感じ取れているならば、「正しい」とは言えないまでも、「全てが間違いではなかった」とも思えるような気がしています。
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