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【3313】 | RE: だからどうしたと言われましても。 はぐれベス (2012年06月26日 23時10分) |
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カンパチさん、こんばんは。 カンパチさんが紹介して下さったお話は私の「あったらいいな」という思いの更に深層にあるものですね。 「宇宙人」とか「霊」とかの話を真剣にすると気持ち悪がられる傾向があります。 でも「ホントはみんな結構興味あるんじゃないの?」と思っています。 ちょっと脱線しますが、私は子供の頃『将来の夢』を聞かれるといつも答えることができませんでした。 明確な夢を持っていませんでしたし、持っていたとしても話せなかったろうと思います。 何か「夢」を語るのは恥ずかしい事のように感じていました。 これもカンパチさんの仰る心の問題『何も信じられない』につながっているような気がするのです。 言い換えれば『宇宙人』も『霊』も、『夢』でさえも『信じていることが恥ずかしい』と思わされる社会があったんではないかと。 (オイオイ、人のせいかよって言われそう・・・) 勿論、信じぬける強さを持った人もおり、成功した人は少なからずそういう力を持った人だと思うのです。 ・・・えっと、ここまで1ページ目のお話に関してです。 ちょっと2ページ目はパスします。むしろこっちがまとめに使えそうなんで。 で、3ページ目です。 >宗教などを抜きにして、自分がやっていること、やろうとしていることの意味を自分で考えなさいーーー。 >これは非常にきつい要求です。何かを選択しようとするたびに、自我と向き合わなければならず、 >そのつど、自分の無知やおろかさ、醜さ、ズルさ、弱さといったものを見せ付けられることになります。 私は好きなんですけどねー、こういうの。 まぁ、気分が凹んでる時までこんなこと考えてたら鬱々しちゃうかもしれませんが。 芥川とか太宰とかってこんなことばっかり掘り下げて考えてたから生きるの嫌になっちゃったんでしょうかねぇ? >『何をするのも、何を信じるのも自由』と言うのはつらいものです。 人間、自由を求めながらも、手に入れた途端に束縛が欲しくなるっていいますからねぇ・・・ なんとなくですが分かる気がします。 『自由』はしんどいんです。 >『絶対的なもの』に属してしまいたくなることもあるのです。 だって、『楽』なんだもん。 でも『楽』な方ばかり選んでいたら何もつかめないんでしょうね。 それ故、自分の道を行くことは困難なのでしょう。 |
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【3429】 |
カンパチ (2012年06月28日 19時04分) |
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これは 【3313】 に対する返信です。 | |||
はぐれベスさん >ちょっと脱線しますが、私は子供の頃『将来の夢』を聞かれるといつも答えることができませんでした。 >明確な夢を持っていませんでしたし、持っていたとしても話せなかったろうと思います。 > >何か「夢」を語るのは恥ずかしい事のように感じていました。 ここの所が気になってたので、僕なりに考えてたら、返レスが遅くなっちゃいました。 『子供の頃』というのは、何歳くらいの頃なんでしょう。 子供が『将来の夢は何だ』と聞かれて答える内容というのは、大概、親、教師、親戚のおじ、おばといった、オトナたちに植え付けられた偏見を反映してるものです。 例えば、江戸時代の子供に、『将来何になりたいか』と聞いたら、『飾り職人』とか『三味線屋』とか『中村主水』とか答えるでしょうから(なんのこっちゃ)。 特に、親、そして、特に母親から、『こういう人になれ』と言われ続けると、大抵の子供は、言いなりに『こういう人になりたい』と言いますよ。 ベスさんが夢をもてなかった、というのは、もしかして、親から、『こうなれ』と言われ続け、それに抗することができなかった、ということなのかな、と。 これって、心理的な虐待なんですよね。 親の側に言わせれば、『子供の将来を思って』とか『良かれと思って』ということなんでしょうけど、子供に期待したがる親というのは、多かれ少なかれ、その親自身が心理的に何か問題を抱えてる場合が多いんじゃないでしょうか。 子供に期待する、とか、夢を託す、とか言うのは、実は、とても無責任で危険なことなんです。自分と子供は別人格だということが受け入れられないのです。 『そんなんじゃないよ』と言われそうですが、ちょっと、気になったもんで。 |
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