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【3279】 | RE: だからどうしたと言われましても。 カンパチ (2012年06月26日 00時20分) |
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はぐれベス さん >宇宙人、宇宙人だけはホントにいるんだぜ・・・きっとな・・・ ネッシー、ミステリーサークル、予言etcといったものは、多分、ファンタジーだと思うのですが、ファンタジーとはちょっと違いますが、近頃では、スピリチュアルといったものを求める人がなぜ増えているのか、について、面白いことを書いてる本があったんで、一気に書いて見ますね。 (1ページ) 姜尚中著『悩む力(集英社新書)』 デジタルとサイエンス万能の時代となって、非科学的なものはすべて駆逐されてしまったように見えながら、怪しいものがかなり横行している、というのが現在です。 前世、来世、チャネリング、臨死体験、オカルト的なもの・・・。世の中を注意してみると、新興宗教も含めて『スピリチュアル』と言われるもの、あるいはそれに類するものが百出しているのに気づきます。 中略。 多くの人がスピリチュアルに魅かれるということは、今の人々の『心』がかなり抜き差しならないところまで来ているせいではないかと言う気がするからです。 昔から、『信じるものは救われる』と言われます。何を信じるか、何を信じたらいいのか、と言うのは永遠の問いです。そして、今を生きる我々の心の問題の多くは、『何も信じられない』と言うところに発しているのではないかとも思います。 『信じる』と言う行為は、人にとってはきわめて重要なことで、それは、『物事の意味を問う』と言う近代的な問題と密接に関係しているのです。 中略。 近代以前の世界には、『宗教』というものが厳然と存在し、人はその中で生きていました。 |
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【3313】 | ![]() |
はぐれベス (2012年06月26日 23時10分) |
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これは 【3279】 に対する返信です。 | |||
カンパチさん、こんばんは。 カンパチさんが紹介して下さったお話は私の「あったらいいな」という思いの更に深層にあるものですね。 「宇宙人」とか「霊」とかの話を真剣にすると気持ち悪がられる傾向があります。 でも「ホントはみんな結構興味あるんじゃないの?」と思っています。 ちょっと脱線しますが、私は子供の頃『将来の夢』を聞かれるといつも答えることができませんでした。 明確な夢を持っていませんでしたし、持っていたとしても話せなかったろうと思います。 何か「夢」を語るのは恥ずかしい事のように感じていました。 これもカンパチさんの仰る心の問題『何も信じられない』につながっているような気がするのです。 言い換えれば『宇宙人』も『霊』も、『夢』でさえも『信じていることが恥ずかしい』と思わされる社会があったんではないかと。 (オイオイ、人のせいかよって言われそう・・・) 勿論、信じぬける強さを持った人もおり、成功した人は少なからずそういう力を持った人だと思うのです。 ・・・えっと、ここまで1ページ目のお話に関してです。 ちょっと2ページ目はパスします。むしろこっちがまとめに使えそうなんで。 で、3ページ目です。 >宗教などを抜きにして、自分がやっていること、やろうとしていることの意味を自分で考えなさいーーー。 >これは非常にきつい要求です。何かを選択しようとするたびに、自我と向き合わなければならず、 >そのつど、自分の無知やおろかさ、醜さ、ズルさ、弱さといったものを見せ付けられることになります。 私は好きなんですけどねー、こういうの。 まぁ、気分が凹んでる時までこんなこと考えてたら鬱々しちゃうかもしれませんが。 芥川とか太宰とかってこんなことばっかり掘り下げて考えてたから生きるの嫌になっちゃったんでしょうかねぇ? >『何をするのも、何を信じるのも自由』と言うのはつらいものです。 人間、自由を求めながらも、手に入れた途端に束縛が欲しくなるっていいますからねぇ・・・ なんとなくですが分かる気がします。 『自由』はしんどいんです。 >『絶対的なもの』に属してしまいたくなることもあるのです。 だって、『楽』なんだもん。 でも『楽』な方ばかり選んでいたら何もつかめないんでしょうね。 それ故、自分の道を行くことは困難なのでしょう。 |
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