返信元の記事 | |||
【7261】 | RE:イヤミス メルカトル (2013年06月12日 23時32分) |
||
ドウコクさん、こんばんは。 >というか、そういう談義はカーのをちゃんと読んだくらいで、後は出てきてもいい加減にナナメ読みしています。 そうですか、それはいけませんね。 私はとても興味深く読ませてもらってますけど。 何か、好きなんですよね、そうした講義というか分類が。 読んでいて、ああこの人もミステリが心から好きなんだなと思えて、微笑ましい感じがしますよね。 それと、ミステリ小説が実名で出てくるのも好ましく思います。 いかにもミステリ作家が書いているなと実感できますからね。 >逆に、動機が納得できれば、その作品の評価が大幅に上がる、という感じです。 意外な動機もアリかなと思います。そんなことで殺人を犯すのかといった、どちらかというと観念的なものとか。 例えば、ご存じないかもしれませんが、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』なんかは面白いと言ってはいけないでしょうが、個人的には好きです。 そんなことで人を殺しちゃいかんだろう、とは思うんですけど。 動機を探偵が解明せずに、犯人の告白に任せるのはちょっとどうかという気もしますね。 >その時代なら洗練されていない分、何でもアリで今よりもっとエゲツナさそうです。 いろいろえげつないのが沢山ありますよ。 例えば、イヤミスとは違いますが、自分の恋人をあの手この手で自分の手のひらに乗るサイズまで小型化する、という訳のわからない話もありました。 オチはどんなのだったか、今は思い出せませんが。 殺人を犯した後、死体を5分割して、あれこれ積み木のようにして弄ぶとか。 無茶苦茶ですね、もう。 >おどろおどろしい事件内容とは裏腹に、道中の感触や読後感はどこか柔らかい。 それは、横溝氏という人が意外にモダニストだったことに由来するのかもしれません。 ドロドロしたストーリーの中に、金田一耕助という飄々とした人物を投下することによって、オドロオドロを上手く中和させている感じがします。 江戸川乱歩のように、徹頭徹尾グロさを追及しているのとも違いますし。 横溝作品の中には、どこかにチラッと理知的なものを忍び込ませることによって、恐ろしさだけではない印象を読者に与えているのではないでしょうか。 その辺り、うまくバランスが取れていると思うんですよ。 だから、他の人にはちょっと真似できないのではないかなと。 >……といったようなテイストを、「イヤミス」の作家の方々に望むのは、無理とは分かっているのですが、つい比べてしまいます。 比較しても詮無いことですね。 横溝氏みたいな作風を書ける作家は、今見渡してもいないですから。 それだけ偉大な作家だったということですよ。 ではまた ^^ |
■ 9,999件の投稿があります。 |
【7263】 |
ドウコク (2013年06月13日 22時56分) |
||
これは 【7261】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 こちらはもう夏です。 今日はじめて、日中の日差しが焼けつくような感じがしました。 昨日までは、そんな感じはなかったのですが。 >読んでいて、ああこの人もミステリが心から好きなんだなと思えて、微笑ましい感じがしますよね。 なるほど、好きで読んでいて深く研究しているから、そういうのが書ける。 一応、「キマイラの新しい城」にもありました。 殊能氏もミステリが心から好きだったのでしょう。 >ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』 この作品で私が最も印象に残っているのは、ラストでの探偵の行動です。 素直に、「探偵がそんなことをしたら、アカンやろ!」と突っ込んだものです。 さて、「イヤミス」について。 というか、最初の話とはズレていますが。 >例えば、イヤミスとは違いますが、自分の恋人をあの手この手で自分の手のひらに乗るサイズまで小型化する、という訳のわからない話 うはは、これは凄い発想の小説ですね。 「あの手この手」と言われても、そもそも無理のような気が。 「無理ミス」? いや、もはやミステリとは呼べない感じもします。 さすが戦前、何でもアリのようです。 >横溝作品の中には、どこかにチラッと理知的なものを忍び込ませることによって、恐ろしさだけではない印象を読者に与えている それに関して、「理知的」というのとは少し違いますが、 「獄門島」も「犬神家の一族」も、本当の犯人は戦争であったと窺わせることにより、 どうしようもない哀しさを醸し出すのに成功している、と思います。 そういうのを盛り込む感覚も、横溝氏の持ち味のような気がします。 |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
© P-WORLD