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【7253】 | RE:イヤミス ドウコク (2013年06月11日 22時55分) |
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メルカトルさん、こんばんは。 >公演中だろうがなんだろうが、一度台の前に座れば打たずにはいられないのが、私のさがみたいなものです。 分かりました。 なかなか難しいようですね。 >別に掟破りではないと思いますが、一応密室トリックの分類に入っていますし、ときどき見かけます。 おお、掟破りではないのですか。 私は法月氏の作品で見たとき、「これはアカンやろ」と感じましたが、まあメインではなかったので良しとしました。 それにしても、「ときどき見かける」というのにも驚きです。 >例えば自分の身内が暴行を受けたとか、恋人が酷い目に合ったとか。 >そういう動機なら頷けるケースが多いです。でもちょっとありきたりなのが残念ですけど。 ここを、他では見ないような理由で上手く処理できたら、 犯人への同情も読者の方に湧いてくると思うので、この部分は力を入れてほしいところです。 さて、「イヤミス」について。 >例えば延々と殺人を繰り返しながらも、動機や心的要因を掘り下げることなく、事象ばかりを描くことに徹するのは小説として疑問視せざるを得ない 同感です。 また、人間の醜い部分(エログロや憎悪など)を強く書いた横溝氏は、「イヤミス」の先駆者のような気もしますが、 あれだけ多くの人が死んだ「八墓村」、 ある人物にとってはあまりに真実が過酷過ぎる「悪魔の手毬唄」などでも、 最後は暗い感じを引きずらずに終わらせています。 「八墓村」→主人公のロマンス、「悪魔の手毬唄」→金田一耕助の警部への一言 その点、どこか救いがあって、凄惨な内容ながらも余韻嫋々な気がします。 あるいは、悲劇的結末だけで終わる作品でも、美しく哀しく描くのでやはり悪い感じはしない。 >やはりもはや「本格」は瀕死の状態なのでしょうかね。 はは、要するにここですね。 「本格」が復活すれば、最初から問題はない、という。 |
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【7255】 |
メルカトル (2013年06月11日 23時45分) |
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これは 【7253】 に対する返信です。 | |||
ドウコクさん、こんばんは。 >なかなか難しいようですね。 今は昔のように時間が有り余るという訳にいかないですので、余裕がないんですね。 まあそんなだから勝てないんでしょうし、したがって現在は休パチ中なんですけど。 >おお、掟破りではないのですか。 掟破りではないと思います。 どの密室講義を読んでみても、掲載されているはずですよ。 まあ最初に考え付いた人は、やはり偉いと思いますね。 簡単に思いつきそうで、意外とそうした発想というのは考え付かないものではないでしょうか。 >それにしても、「ときどき見かける」というのにも驚きです。 苦し紛れなんでしょうね。でもそれがメイントリックになっていることはさすがに記憶にないです。 確かに、現実にありそうなトリックではありますし、使い勝手がいいというんでしょうかね。 >ここを、他では見ないような理由で上手く処理できたら、 >犯人への同情も読者の方に湧いてくると思うので、この部分は力を入れてほしいところです。 私はそれほど動機を重視するほうではありませんので、そこまで気にしませんが、出来るだけ信憑性のあるというか、真実味の感じられる動機をひねり出してほしいとは思いますよ。 >また、人間の醜い部分(エログロや憎悪など)を強く書いた横溝氏は、「イヤミス」の先駆者のような気もしますが 横溝氏の場合は、本格スピリットみたいなものが感じられますので、問題ないと思います。 しかし、イヤミスの先駆的作品なら戦前から結構書かれているのではありませんかねえ。 人間の醜い部分をえぐったエログロは、いわゆる変格推理と呼ばれ、そのジャンルを既に戦前に確立されていたはずです。 その当時の小説と現在のイヤミスとは若干毛色が違うかもしれませんけどね。 >あるいは、悲劇的結末だけで終わる作品でも、美しく哀しく描くのでやはり悪い感じはしない。 だから、横溝氏の描くミステリはあくまで文学なんですよ。 異端とは言え、やはり一種の文学小説と捉えるのが正しい気がしますね。 もはや氏のミステリは、今ではクラシックとすら呼べると思いますので。 >「本格」が復活すれば、最初から問題はない、という。 死にかけてはいますが、まだ完全に息絶えたわけではないと思いますので、本格物を書こうという意気込みのある作家には、とにかく頑張っていただきたいものです。 まだまだ本格は死なず、という認識を世間に与えるような作品をガンガン発表して欲しいですね。 ではまた ^^ |
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