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【4263】 | RE:【黒猫倶楽部】〜ミステリを語りません オーサー (2011年04月20日 23時33分) |
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◆メルカトルさん、ドウコクさん、すいーとぽてとさん、こんばんわ(おまとめで失礼) ・・・珍しくこの時間に実家に帰ってこれたんで… さすがに翼は読了してませんのでw ドウコクさん、すいーとぽてとさんが「大河ドラマ」話題されてたんで、便乗させてもらいます。(歴史モノで) 「武田 信玄」 数々のドラマ・小説の主人公となり、認知度の高い戦国武将だと思います。 かの武将さんは側室の数も相当いたようですが、「両刀使い」だったそうです。 ただ、この時代の武将さんは多かれ少なかれ「両刀使い」の方が多かったようで(信長や上杉謙信などもそう) 現代の常識にてらせばありえへんっ!って所ですが、あの時代ではわりと常識の範囲内だったようです。 ・・・しかしながら、部下であり恋人でもあった(確か高坂弾正)人にあてた手紙 「あれは、浮気じゃないんだよ、ちょっと体調が悪くて泊まっただけだから誤解しないで!」と相当言いわけがましい手紙が 現代に残ってるとは、チト可哀そうw 「毛利 元就」 こちらの武将さんは少々、信玄さんに比べるとやや地味な印象がありますが、地方領主から中国地方の君主に上り詰めた凄い方。 現代でいうと広島の町長か村長くらいの人が、山口、広島、鳥取、島根、岡山あたりを治めたようなもん。 また、日本三大奇襲といわれる「桶狭間」に先立つ事「厳島神社の戦い」で3〜4千程度で3万の大軍を退けた謀神(ぼうしん)とよばれたそうです。 この方々の子孫(孫)が関ヶ原の戦いのカギを握る人物になりました。 また、この方の凄いのは75歳で亡くなるまで「生涯現役」だったそうで、71歳の時に子供を作ってます。 元就の孫に当る「毛利輝元」になかなか子供が出来なかったので、輝元さんが隠居した後は71歳の時の子供が後を継いだとか。 正確でないところは多々ありますが、大河がキッカケで色々な上記の方々を取り扱った小説をよんでみたのをざっと思い出して書いてみました。 ドウコクさん、「人生は双六じゃー!」 失礼、ついキバ京本の吉川最期のセリフってみました。 おやすみなさい。 |
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【4266】 |
ドウコク (2011年04月21日 23時07分) |
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これは 【4263】 に対する返信です。 | |||
大沢さん、「御旗(みはた)楯無(たてなし)も、ご照覧あれ。」 失礼、つい武田信玄がよく口にしていたセリフを、使ってしまいました。 (関係ないですが、漢字を調べようとしてWikiを見たら、何と今までは知らなかった意味まで知ることができました。 というか、こんなのは従来、どこor何で調べるのか、見当もついてなかったです。 いや〜、ネットは凄いですね。) > ( 略 ) 相当言いわけがましい手紙が >現代に残ってるとは、チト可哀そうw 興味深いお話、ありがとうございます。 信玄、由布姫(ゆうひめ)他、側室も複数いたらしいので、女性への言い訳も数々あったのでしょうけど、 まさか、男性に対しての言い訳にも苦しんでいたなんて。 わはは。 >日本三大奇襲 あと一つが分からなかったので、調べる(やっぱりWiki、わははは)と、北条氏康のいくさ(「河越夜戦」=かわごえよいくさ)とか。 そういえば、「風林火山」で出ていました。 あれがそんなに凄いとは、見た当時は思いませんでした。 連日の遅い「ごきた苦」、本当にご苦労さまです。 今週末も出張でしょうか。 お体にお気をつけて、そして、「翼ある闇」を楽しんで下さい。 |
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