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【1247】 | RE:続・明暗 ドウコク! (2009年12月05日 21時35分) |
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メルカトルさん、こんばんは。 漱石、「明暗」の深奥。 それは、作者が晩年に抱いていたらしい、究極の思想、「則天去私(そくてんきょし)」にあります。 これを表現すべく、絶筆「明暗」は書かれたらしいのです。 「則天去私」とは? これは、「私(し)を去って、天に則る(のっとる)」、「天に則り、私を去る」、だそうです。 つまり、「私」=私心、エゴイズム、欲望 を捨てて、「天」=自然、運命 に任せた生き方が理想である、ということらしいのです。 この言葉自体は、漱石がエッセイなどで使っているのですが、正確な意味は作者の胸の内、みたいです。 また、この思想を日常生活にどう活かすのか、なども明らかにされていません。 (そこまで説明するには、思いついてからの時間が漱石には残されていなかった、という意味) 従って、この言葉の意味をどう解釈するか、は漱石ファンや研究者にとって、大きな意味を持ちます。 私は、言葉通り、「(人間関係で)いらん小細工などせずに、日々、自然に生きるが一番。」と受け取りました。 つまり、「レット・イット・ビー(=なすがままに)」、「ケ・セラ・セラ(=なるようになるさ)」みたいな。 当然、他の方の意見もあります。 これを、漱石は「明暗」で、夫がかつて想いを寄せていた女性の生き方に託して表現しようとした、らしいのです。 しかし、その目的は達せられることなく、くだんの女性は登場しただけで、物語は終わりました。 ですから、続編を謳うなら、当然、この思想も明らかにすべきなのです。 新人かどうかを問わずに。 それなのに、「続・明暗」ではそれができていないと判断したので、私は、大きな失望を覚えたのです。 前回、記述した「続・明暗」の、私が感じる弱点以外に。 |
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【1248】 |
メルカトル (2009年12月05日 23時03分) |
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これは 【1247】 に対する返信です。 | |||
ドウコク!さん、こんばんは。 >それは、作者が晩年に抱いていたらしい、究極の思想、「則天去私(そくてんきょし)」にあります。 私は漱石という作家は、もっと楽天的な人だと思っていました。 あくまで作品のタイトルから来るイメージのみで語っていますが。 まあそれは作家ですから、色々な思索を巡れらせているであろう事は容易に想像がつきますが、それ程の思想を持って晩年を迎えていたとは知りませんでした。 >つまり、「私」=私心、エゴイズム、欲望 を捨てて、「天」=自然、運命 に任せた生き方が理想である、ということらしいのです。 なるほど、それが決して長いとは言えないがその分濃密であったであろう執筆生活から得た、自ら生み出した座右の銘だったのでしょうね。 >従って、この言葉の意味をどう解釈するか、は漱石ファンや研究者にとって、大きな意味を持ちます。 今聞いたばかりのこの言葉の重みの意味を、私にはどう解釈すべきなのか、思考する術もありませんが、とにかく晩年の漱石にとって、己を律するための戒めの言葉と受け取ってよいのでしょうかね。 >ですから、続編を謳うなら、当然、この思想も明らかにすべきなのです。 あの漱石の絶筆の続編ですからね、それを執筆する意味の深さも考慮に入れて、書き込んで欲しかったような気はします。 しかし、それこそ未読の私に掘り下げた感想を書けるはずもありませんので、この辺りにしたいと思います。 ではまた ^^ |
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