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【1245】 | RE:続・明暗 メルカトル (2009年12月04日 23時00分) |
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ドウコク!さん、こんばんは。 >メルカトルさんの意見を読めば、なるほど、高木彬光氏は、純粋にミステリを探求しておられるのですね。 おっしゃる通りではないかと思います。 その姿勢は横溝氏にも通じるものがある気がします。 まだまだこれからといった、本格ミステリに伸びしろが十分にある時代だっただけに、氏のミステリに対する情熱は絶える事がなかったのではないでしょうか。 現在のように様々な制約や障害もなく、トリックもまだまだ出尽くしていなかった、いわばミステリの黄金時代と言ってもよい時期だったのでしょう。 各作家が伸び伸びと自分の代表作を物にして、読者を喜ばせていた古き良き時代だったのだろうと想像します。 >「続・明暗」は、私が感じていた夏目漱石の真髄を全く感じさせることなく、また、深みや凄味も感じさせずに、 >ハッキリ言って、昼メロみたいな作品として書きあげてしまった、と私は感じます。 一流の作家が続編を書き継いだのだとしても、やはり違和感は拭い去れなかったでしょうから、ましてや新人作家には少し荷が重かったかもしれませんね。 漱石の作品はどう考えても漱石にしか書けないのであろうし、いくら文体を真似てもどうしても「似非」になってしまうんでしょうね。 所謂似て非なるものにしかならないかと。 >「完結させたのはご苦労様だが、しかし、君は漱石の何を見ていたのだ?」と、むなしい読後感が残りました。 読了後の感想、印象は十人十色ですからね、それをどう引き継いで書き込んでいくかは、その作家の感性次第なのでしょう。 今回のこの例はその感性が上手く『明暗』とマッチしなかったようですね。 だからといって他のベテラン作家が書き継いだら成功していたかというと、そうとも限らない気もしますし、それだけ読者の期待を背負って、名作の後を継ぐという事は困難な作業なのかもしれませんね。 ではまた ^^ |
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【1247】 |
ドウコク! (2009年12月05日 21時35分) |
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これは 【1245】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 漱石、「明暗」の深奥。 それは、作者が晩年に抱いていたらしい、究極の思想、「則天去私(そくてんきょし)」にあります。 これを表現すべく、絶筆「明暗」は書かれたらしいのです。 「則天去私」とは? これは、「私(し)を去って、天に則る(のっとる)」、「天に則り、私を去る」、だそうです。 つまり、「私」=私心、エゴイズム、欲望 を捨てて、「天」=自然、運命 に任せた生き方が理想である、ということらしいのです。 この言葉自体は、漱石がエッセイなどで使っているのですが、正確な意味は作者の胸の内、みたいです。 また、この思想を日常生活にどう活かすのか、なども明らかにされていません。 (そこまで説明するには、思いついてからの時間が漱石には残されていなかった、という意味) 従って、この言葉の意味をどう解釈するか、は漱石ファンや研究者にとって、大きな意味を持ちます。 私は、言葉通り、「(人間関係で)いらん小細工などせずに、日々、自然に生きるが一番。」と受け取りました。 つまり、「レット・イット・ビー(=なすがままに)」、「ケ・セラ・セラ(=なるようになるさ)」みたいな。 当然、他の方の意見もあります。 これを、漱石は「明暗」で、夫がかつて想いを寄せていた女性の生き方に託して表現しようとした、らしいのです。 しかし、その目的は達せられることなく、くだんの女性は登場しただけで、物語は終わりました。 ですから、続編を謳うなら、当然、この思想も明らかにすべきなのです。 新人かどうかを問わずに。 それなのに、「続・明暗」ではそれができていないと判断したので、私は、大きな失望を覚えたのです。 前回、記述した「続・明暗」の、私が感じる弱点以外に。 |
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【1246】 |
ドウコク! (2009年12月04日 23時44分) |
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これは 【1245】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、再びです。 >だからといって他のベテラン作家が書き継いだら成功していたかというと、そうとも限らない気もしますし これは、まさにその通りです。 私が抱いた不満は、書き方以前のもっと根本的なものに、でした。 それをベテランだからといって、カバーできるとは思えません。 明日は更に「明暗」の深奥について、報告したいと思います。 では、おやすみなさい。 |
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