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【94】 |
真比呂 (2008年12月24日 15時25分) |
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これは 【93】 に対する返信です。 | |||
その年の暮れのことです。 K村君が言いました。 「僕んちでケーキを買ってくれるんだ。 クリスマスに遊びに来ないか」 と。 少しずつ、「豊かさ」が浸透しつつある時代でもありました。 家庭で食べるための、クリスマスケーキもよく売れていました。 子供たちにとっては、甘いものは貴重でした。 ケーキと言われては、ほっておけません。 みんなで、 「行く、行く!」 と大騒ぎしました。 初めてK村君の家を訪ねました。 その日もお母さんは仕事に出かけていて留守でした。 彼の家は、たった一間の板張りの部屋でした。 今から思うと、親戚か誰かの家の、 離れか何かを間借りしていたのでしょう。 ひょっとすると、納屋か物置だったかもしれません。 冷たい床の上に、5、6人で座りました。 K村君は、満面の笑顔でケーキの箱を運んできました。 みんなが、 「イエーイ」 と声を上げます。 彼が、箱のふたを開けました。 すると、・・・本当に、 本当に小さなケーキが座っていました。 そして、どうみても、美味しそうには思えませんでした。 箱には、製パン会社のシールが貼ってありました。 K村君の表情も少し曇りがちになりました。 ロウソクを立てて、火をつけて、みんなで吹き消します。 ロウソクを立てたために、小さな小さなケーキの表面は、 凸凹になってしまいました。 それでも、 「いいか、切るぞ」 と包丁を振りかざします。 誰かが、 「ちゃんと、みんな同じ大きさに切れよ」 と言いました。 お皿に乗せて、配ります。 フォークなんてありません。 手で持って、がぶりと食らいつきます。 口の中に、何やら、ベタッとした甘さが広がりました。 もちろん、生クリームではありません。 安価なバタークリームでした。 それが、固まって口の中でもなかなか溶けません。 どうお世辞を言おうにも、美味しいとは思えない代物でした。 全員が口に含んで、とうとう黙り込んでしまいました。 それでも、誰一人「まずい」 とは口にしませんでした。 それは、 K村君の気持ちをわかっていたからです。 クリスマスの日に、仲間の前で、 ちょっとだけでもいいからいい格好をしてみたい。 そのために、きっとお母さんに無理を言って、ケーキを買ってもらった。 お母さんは、息子のためにも相当に思い切って買ったのでしょう。 先生からは、いつも冷たくされているけれど、 一緒に遊んでくれる仲間がいる。 その仲間に、ほんのちょっとだけでもいいから、お礼がしたい。 それは、いつも一緒にいたから、 何も言わなくてもわかるのです。 |
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【93】 |
真比呂 (2008年12月24日 15時24分) |
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これは 【92】 に対する返信です。 | |||
K村君のうちは、貧乏でしたが、 卑屈な奴ではありませんでした。 どちらかというとヤンチャでした。 たまにふざけて、教室の窓ガラスを割ってしまったりするので、 担任の女の先生からは、いつも睨まれていました。 そのせいでしょうか。 その遠足の時も、担任の先生は、 私たちのグループにやってきて 「おやつチェック」をしました。 遠足にもっていくおやつは、百円までと決められていました。 遠足の前日になると、みんなで工夫をこらして買い物に出かけます。 先生は、リュックサックからおやつを出させて、 予算をオーバーしていないかをチェックするのです。 順番に見て周り、K村君の番になりました。 リュックからは、袋物の駄菓子が山ほど出てきました。 僕らは、(へええ、大したものだなぁ)と感心しました。 彼は、駄菓子屋へ行き、量の多い袋詰めの駄菓子を 何種類も買い込んだのでした。 一つが十円か二十円なので、相当の量になります。 それを見た先生は、いきなり大声を上げて怒りました。 「こんなに滅茶苦茶買ってきて、 なんて子なの!」 K村君は、一つ一つの値段をきちんと説明しようとしましたが、 駄菓子屋なんて行ったことのない先生には信じてもらえませんでした。 僕らも一緒になって反論しましたが、聞く耳を持ちません。 K村君は、先生が去ったあとも悔し涙を流していました。 今では、信じられないことかもしれませんが、 エコヒイキや体罰をする先生なんて当り前。 そして、物が無くなると、 貧乏な家の子が疑われるのも当り前の時代だったのです。 K村君は、何事につけても、先生に目をつけられていました。 |
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【92】 |
真比呂 (2008年12月24日 15時23分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
クリスマスになると思い出す友達がいます。 小学校の3、4年生とクラスが同じだった、 K村君のことです。 ときは、昭和40年代の前半のことです。 そう、あの頃は、ほとんどの家庭が貧乏でした。 貧乏というか、物がないということが、 ごく普通の生活でした。 我が家もご多分に漏れず、 ズボンの膝やセーターの肘は継ぎはぎされていました。 今なら、「恥ずかしいよ」と言うところですが、 みんな一緒なので気にもなりません。 もちろん、コンビニもマックもない時代の話です。 そんな時代に、K村君の家庭は、 一層輪をかけて貧乏でした。 直接、話を聞いたことはありませんでしたが、 噂ではお父さんがいなくて、 お母さんが日雇いで働いてK村君育てていたようです。 こんなことがありました。 学校の秋の遠足での出来事です。 昼飯の時間になると、 それぞれ仲のいい同士が4、5人のグループを作って車座になります。 そして、当時流行っていたのは、お弁当の交換です。 サンドイッチなんてシャレたものを持ってくる女の子も クラスに一人か二人はいましたが、ほとんどがオニギリでした。 二個か三個持ってきたオニギリのうちの一つを交換するのです。 私は、たまたま、K村君のオニギリをもらいました。 さて、それを一口がぶりとして、 思わず吐き出しそうになってしまいました。 なんてまずいオニギリだったことか。 とにかく、お米がパサパサなのです。 そして、一粒一粒が硬くて、口の中でジャリジャリいっているのでした。 私の顔つきを見て、K村君は言いました。 「お母さんは、暗いうちに家を出て行くから、 夕べのうちに作ってくれたんだ。 それで硬くなっちゃったんだ」 そのころは、ラップもありません。 作り置きのオニギリは、時間が立ち過ぎると乾燥してしまうのです。 私は、「まずい」とも口に出せず、 とにかく全部を飲み込むようにして食べました。 子供ながらに、友達の家庭の事情を察して、 心が痛くなったものでした。 |
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【91】 |
松風ヒヒン (2008年12月24日 11時12分) |
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これは 【90】 に対する返信です。 | |||
真比呂さんこんにちは^^/ スゴイですねぇ〜絵文字^^♪自分は出来ないので勘弁して下さいね*^^* >楽しいクリスマスを迎えられますように。 ↑こちらからも(´・ω・)_「愛」ド〜ゾ。。。 真比呂さんも良い夜になりますようにヾノ__) |
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【90】 |
真比呂 (2008年12月24日 09時17分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
○⌒\ (二二二) (⌒( ・∀・) ヤア! ( o つ (__し―J /⌒○ (二二二) チョットマッテテ (・∀・ ) (( o; と ) ゴソゴソ (__ノ―J /⌒○ (二二二) アレ…? (・∀・;) (( o; と ) ゴソゴソ… (__ノ―J /⌒○ (二二二) アタッ♪ (・∀・ ) ( o; と ) (__ノ―J ○⌒\ (二二二) ドゾ (⌒( ・∀・) ( o つ愛 (__し―J 楽しいクリスマスを迎えられますように。 |
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【89】 |
真比呂 (2008年12月23日 22時34分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
774 :大人の名無しさん :04/06/03 22:33 ID:K+cG6zAd ばあちゃん(゜Д゜)ゴルァ! 四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら 5 0 万 もはいってましたよ(゜Д゜)ゴルァ! 渡されるとき変だな変だな〜って思ってましたよ(゜Д゜)ゴルァ! 1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゜Д゜)ゴルァ! 漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ でもな、ばあちゃん 何やってんですか(゜Д゜)ゴルァ! 50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか? ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゜Д゜)ゴルァ! ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゜Д゜)ゴルァ! 曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゜Д゜)ゴルァ! ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゜Д゜)ゴルァ! ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゜Д゜)ゴルァ! 金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゜Д゜)ゴルァ! 漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゜Д゜)ゴルァ! 田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゜Д゜)ゴルァ! 漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ 四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって 声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゜Д゜)ゴルァ! 医者いってください 整体いってください 頼むから! 頼むから、ばあちゃん! 「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って 医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか(゜Д゜)ゴルァ! 「あんたが生きててくれて嬉しいん。 このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って(゜Д゜)ゴルァ! ばあちゃん(゜Д゜)ゴルァ! 自分どうすればいいですか(゜Д゜)ゴルァ! 結婚資金どころか相手もいないですよ(゜Д゜)ゴルァ! ばあちゃんを安心させて喜ばせてあげたいのにそれすらできませんよ(゜Д゜)ゴルァ! 使えません、使えませんよ(゜Д゜)ゴルァ! 受け取っちゃったんで返せませんよ(゜Д゜)ゴルァ! かえしたらばあちゃんきっと悲しむ でも返したいですよ(゜Д゜)ゴルァ! 漏れはどうしたらいいですか(゜Д゜)ゴルァ! 漏れは悪い孫ですよ ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ 四年も田舎に帰らなかった自分(゜Д゜)ゴルァ! 帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか(゜Д゜)ゴルァ! 手の骨とかポキンて折れそうですよ(゜Д゜)ゴルァ! 漏れにはなんてことのない四年だったけど ばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな(゜Д゜)ゴルァ! ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ しんじゃいやだよう ずっと生きてて漏れに孝行させてください(゜Д゜)ゴルァ! 漏れに背中もませてください 手つないで坂道歩かせてください(゜Д゜)ゴルァ! ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう! まだばあちゃんまだ連れてかないでください(゜Д゜)ゴルァ! 次の休みは年末だ(゜Д゜)ゴルァ! 祭りにはいかねえ 田舎に帰るよ ばあちゃん待っててな(゜Д゜)ゴルァ! いっしょに温泉行こうな 漏れ少ない給料がんがってためるよ(゜Д゜)ゴルァ!(゜Д゜)ゴルァ!(゜Д゜)ゴルァ! |
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【88】 |
真比呂 (2008年12月22日 22時28分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。 彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。 そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。 それが反対の理由でした。 「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。 結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母にもそう言い放ったんです。 その2日後でした。 彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。 仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。 探して探して探して 空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。 歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。 その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ 結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。 もう10年近く前の話です。 祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。 その時の手紙です ○○へ(彼の名前) ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。 貴方のお父さんとお母さんが死んだ時 私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。 ばあちゃんは年であるしお金もない 何も何も持ってはおりません。 貴方への愛情だけです。 そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた とてもとても良い子に育ってくれました そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。 でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。 幸せになってください。 ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。 とてもとても幸せでした。 妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。 |
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【87】 |
真比呂 (2008年12月20日 22時19分) |
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これは 【86】 に対する返信です。 | |||
街路樹の枝から つららが一本 いちょう並木の 枝は淋しく 急ぎ足の雲が風を呼び 風は鉛色に染まる 暗い空から ひとひらの雪 |
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【86】 |
真比呂 (2008年12月20日 22時14分) |
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これは 【85】 に対する返信です。 | |||
★水玉擬似連さん コンバンハです。 只のコピペだけどまた見てくださいね。 |
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