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【6836】 | RE:まったり歴史史料館(コタツ付き) 桜花放神 (2006年12月02日 01時40分) |
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浜さん♪ >松蔭門下生は、高杉や久坂のような真っ直ぐな性格の人間は師を追うように早死にしてしまいましたよね…。 結局、優秀な人材は最初から活躍してた分、みんな早死にしてしまって、最後維新が成った時には小物しか残ってなかったんですよ。 明治政府の高官で、長州系の尊攘時代からの人物って・・・桂だけでしょ。 だから、大久保も悩んだし、薩摩から人材を求めたんだと思いますよ。 警察も薩摩だし、陸軍もしかり、海軍もしかり。 >京都では、豪勢に金を使う長州人はもてたらしいですね…ま、藩の金使って遊んでただけと言ってしまえばそれまでですが(笑)。 ありゃ、遊びでしょ。(笑) だもの、治安が悪くなる訳ですよ。 ま、それが会津の悲劇の始まりなんですがね。 >西郷が維新の時の内情を暴露したりしたら、えらいことになってたでしょうね…。 その点、人が良かったんでしょうね。 大久保だったら、即暴露ですね。 逆転するためには手段は選ばないでしょうから。 >相良総三も、薩摩に利用されて使い捨てにされてますし…。 本当に邪魔になっちゃったんですよね、赤報隊は。 年貢半減は無理だもん、実際。 あ、新撰組(といっても御陵衛士ですが)の鈴木 三樹三郎は赤報隊2番隊隊長だったんですよ。 >隊長の佐々木只三郎は、清川八郎の暗殺にも関わっていて、その道の達人ですし。 >彼も鳥羽伏見で死んでるので、まあ死人に口無しってところだったのでしょうが…。 良くも悪くも見廻組名前を残しましたね。 生きていれば、また違った歴史だったんでしょうけど・・ >藩主の容保公を筆頭に、最後まで戦ってましたからねえ。 まさに会津士魂なんですよ。 「ならぬことはならぬものです」って精神が染み付いてるから、損得で動けないんですよね・・・ 不器用なんですかね。 >会津の人では、佐川官兵衛が好きですね。 名将ですね。 ただ、唯一の失敗が、逆襲をすると決めたその日、酒を飲みすぎて出撃が遅れ、結果大敗北してしまったんですよね。 だから、それ以降はゲリラ戦に持ち込まざるを得なくなったんです。 >やっぱり?(爆) >…でも白雪可愛いし(猛爆)。 って、好みの順番変わってるし(爆) |
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【6837】 |
浜打ちJK (2006年12月02日 01時50分) |
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これは 【6836】 に対する返信です。 | |||
桜花さん >だから、大久保も悩んだし、薩摩から人材を求めたんだと思いますよ。 山県も奇兵隊の暴れ者のまんま、大臣になってしまった感がありますからね…(汗)。 もう少し、他藩や旧幕府の人材を最初に取り込んでおけば、また違った政府になってたかとは思いますが…。 幕末に佐久間象山みたいな天才も暗殺しちゃってますからね…怖い時代です。 > あ、新撰組(といっても御陵衛士ですが)の鈴木 三樹三郎は赤報隊2番隊隊長だったんですよ。 それは初めて知りました! しかし、変わり身が早いというか何と言うか…。 尊皇攘夷→開国倒幕って、数年・数月の内に時流が変わってましたからねえ。 昨日の友は今日の敵って感じですよね。 > って、好みの順番変わってるし(爆) え〜(滝汗)。 じゃあマリア一番ってことで(爆)。 やっぱり射殺か…。 |
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