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【11】

メモリアル   編集  評価

初代ゆるべろす (2023年09月03日 10時40分)




キョウエイマーチ


マイラーの武器といえば
1600mを緩みなく乗り切る豊かなスピード

あるいは鮮やかな瞬発力で混戦を差し切るタイプも多い

そんな中
1997年の桜花賞馬キョウエイマーチは
パワーを持ち味としたユニークな存在だったといえるのではないだろうか

父はダンシングブレーヴ
英2000ギニーやキングジョージ
凱旋門賞などを制した1980年代の名馬

深くて重いといわれる欧州の芝で数々のビッグレースを制し
しかも稍重や重馬場でもたびたび好走しているように
類稀なるパワーの持ち主だった

母インターシャルマンは
ダートで4勝をあげた馬

母の父ブレイヴェストローマンは帝王賞勝ち馬オサイチブレベストなどダートの強豪を数多く輩出
当時を代表するパワー血統として知られていた種牡馬

その血は娘にも確かに受け継がれ
キョウエイマーチはダート1200m戦で「大差」勝ちという圧倒的なデビューを飾ったのだった

続く500万下特別
芝1600mの千両賞では3着に敗れたものの

明けて3歳初戦
ダートに戻った寒梅賞では10馬身差の逃げ切り勝ち

あらためて凄まじいまでのパワーを見せつけることに成功する

ふたたび芝に挑んだのがエルフィンS
千両賞で敗れた相手ホッコービューティに1番人気を譲ったものの
稍重の馬場にも助けられて今回は半馬身差勝利で雪辱を果たす

さらに報知杯4歳牝馬特別では
阪神3歳牝馬S2着のシーズプリンセスを7馬身もちぎり捨てて
そのパワーが良馬場でも通用することを証明してみせた

そうして臨んだのが第57回桜花賞

最大の敵は
前年の2歳女王メジロドーベル

両馬の一騎打ちムードで開幕したこのレースは
いともあっけなく決着を見る

降り続く雨
芝コンディションは不良の発表
並のマイラーならひるんでしまう条件で
パワーあふれるキョウエイマーチは駆けた

果敢に逃げるのはミニスカート
大外18番枠からスタートしたキョウエイマーチは
引っ張り切れないほどの手ごたえで並びかけていく

馬場を考えればかなり速いラップだったが
直線に入ってもキョウエイマーチの脚色は衰えず
逆に後続をみるみる引き離していった

大外からメジロドーベルも意地を見せて追い込んできたものの
これに4馬身という決定的な差をつけて
キョウエイマーチは桜の女王の座をつかんだのだった

オークスでは距離がこたえたか
得意の道悪にも関わらず11着に敗れたキョウエイマーチだが
秋は秋華賞2着
マイルCSではタイキシャトルの2着などと力をアピール

古馬になってからも
フェブラリーS5着
阪急杯制覇
南部杯2着
京都金杯は5馬身差1着など
長きに渡って一線で活躍し続けた

その源はパワー
どんな馬場でも苦にしないパワーが
キョウエイマーチの体内にはあふれていたはずである

 
【10】

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初代ゆるべろす (2023年09月03日 04時10分)




ステイゴールド


大舞台での優勝に縁がなく
2着(銀メダル)や3着(銅メダル)を繰り返す

そんな存在をスポーツの世界では“シルバーコレクター”“ブロンズコレクター”などと呼ぶ

ステイゴールドがまさにそんな馬だった

二冠馬サニーブライアンやマイル王タイキシャトルらと同じ1994年生まれのステイゴールド

父サンデーサイレンス
伯父にサッカーボーイがいるという血統はそれなりに期待を集めたが

デビューは2歳12月
初勝利は3歳の5月と
同世代の中では頭角を現したのが遅い部類に属すといえる

未勝利脱出に続いて500万下も勝ち
秋には900万下も勝ってなんとか菊花賞出走を果たしたが
8着という目立たぬ成績

以後も勝ちあぐね
1998年・4歳を迎えた時点では準オープン馬に過ぎなかった


ダイヤモンドSで2着となってから
この馬の「銀と銅のコレクション人生」が幕を開けることになる

まずは天皇賞(春)で
メジロブライトの2着

宝塚記念ではサイレンススズカを4分の3馬身差まで追い詰めての2着

天皇賞(秋)でもオフサイドトラップの2着となり
有馬記念では3着

重賞勝利のないまま
すっかり古馬中長距離路線の安定勢力として認知され
愛されるようにもなったステイゴールドは
1999年の5歳時も我が道を往く

春は日経賞
金鯱賞
鳴尾記念
宝塚記念で3着
秋は天皇賞で2着

さらに6歳になってもコレクションを増やし
アメリカジョッキーCCが2着
京都記念3着
日経賞2着

あのダイヤモンドS以降の重賞成績は
2着7回
3着7回という鮮やかなコレクターぶり

ようやく金メダル=重賞タイトルを手にしたのは
6歳の春
目黒記念でのこと

2着・3着がこの馬の指定席と思い込んでいたファンは
驚きと喜びとを半々に抱きながら
そのゴールを見守った

重賞初制覇を果たしたステイゴールドだったが
以後は掲示板を外す機会が増えていく

しかしこれは
ステイゴールドが“海外仕様”へとモデルチェンジを果たす助走期間だったのかも知れない

明けて7歳となった2001年
初戦の日経新春杯をあっさりと勝って重賞2勝目をあげたステイゴールドは
果敢にドバイへと遠征

後に全米芝チャンピオンに輝くファンタスティックライト
アーリントンミリオンを勝つシルヴァノらを押さえ
ドバイ・シーマ・クラシックを制した

さらにその年の暮れ
引退レースとして選ばれた
香港ヴァーズも強烈な差し脚で勝利

なんと「日本産・日本調教馬による初の海外G1制覇」を成し遂げてみせる

あれほど勝ち切れないレースを続けた馬が達成した大偉業

こうしてステイゴールドは
記憶にも記録にも残る馬として
競馬史にその名を刻んだ

 
【9】

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初代ゆるべろす (2023年09月02日 22時29分)




メジロドーベル


中央競馬で3歳時から
6年連続重賞制覇という
空前絶後の記録を残した馬といえばドウカンヤシマ

では
4年連続でJRA賞を重賞した馬は?

4年もの長くに渡って頂点に立ち続けるなど並大抵のことではないが
それを成し遂げたのが牝馬G1で5勝を挙げたメジロドーベル

メジロドーベルのデビューは96年

新馬戦を快勝し
2戦目の新潟3歳Sこそ5着に敗れたが
サフラン賞
そして牡馬相手のいちょうSを連勝

阪神3歳牝馬Sではシーキングザパールに1番人気を譲ったものの
中団追走から鮮やかに差し切って重賞初制覇を飾り
この勝利でまずひとつ目

最優秀3歳牝馬(当時)のタイトルを手中にした

ところが
年明け初戦のチューリップ賞3着で連勝が止まり

桜花賞ではキョウエイマーチに4馬身差をつけられる2着に敗退

メジロドーベルが見せた前年秋の勢いは途絶え
4連勝を飾ったキョウエイマーチが世代トップの座を手にしたかと思われた

しかし
続くオークスでメジロドーベルは東京2400mの舞台を味方に逆襲を見せる

中団やや後方を追走すると
直線でキョウエイマーチが距離の壁に阻まれて失速するのを尻目に
馬場の中央から豪快な伸び脚を繰り出して完勝

対戦成績を1勝1敗とし
ラスト1冠
秋華賞で最優秀4歳牝馬の座を争うこととなった

秋初戦はメジロドーベルがオールカマーで古馬を一蹴

一方のキョウエイマーチもローズSを制して秋華賞は2強ムード

4コーナー手前で先頭に立ったキョウエイマーチを目標に外から進出したメジロドーベルは
残り100mでこれを捕らえると
そのまま2馬身半突き抜ける圧勝

この後マイル路線を進むキョウエイマーチとの最後の対決で完勝を収め
再び世代の頂点の座を掴み取ったのだった

こうして
同世代の牝馬同士では頂点を極めたメジロドーベル

しかし
翌年はひとつ年上の女傑エアグルーヴとの対決が待っていた

翌年のメジロドーベルは苦戦が続き
優勝は牝馬同士の府中牝馬Sのみ

迎えたエリザベス女王杯では
牡馬相手に好走を重ねていたエアグルーヴが断然人気となり
メジロドーベルの劣勢ムードは否めなかった

しかし
ここ一番では文句なしの強さを見せたのがメジロドーベルという馬

外を回ったエアグルーヴが伸びを欠く中
狭いラチ沿いから上がり33秒5の豪脚を繰り出し見事に優勝

この勝利で
3つ目となる最優秀5歳以上牝馬のタイトルを獲得した

翌年も現役を続行したメジロドーベルは
連覇を賭けてエリザベス女王杯に出走する

この年は故障もあって2戦未勝利と状況は厳しかったが 
この苦境も乗り越えフサイチエアデール以下に快勝

4年連続G1制覇
そして再び最優秀5歳以上牝馬に輝き
4年連続JRA賞受賞という快挙を成し遂げた

この一戦を最後に引退したメジロドーベル

惜しむらくは牝馬三冠を逃したことだが
それに優るとも劣らぬ輝かしい成績を残した名牝である

 
【8】

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初代ゆるべろす (2023年09月02日 20時26分)





マチカネフクキタル


マチカネフクキタルの父はクリスタルグリッターズ

仏GIのイスパーン賞を連覇した馬で
公営の雄アブクマポーロやサファイヤS勝ち馬アルファキュートなどを出した中堅種牡馬

母はアテナトウショウ
二冠馬コダマや桜花賞馬シスタートウショウなどを出した名牝系の出身

それなりに芯の通った血統ではあったが
マチカネフクキタルの生誕は1994年

デビューは1996年
サンデーサイレンス産駒が次々と重賞を制し
トニービン
ブライアンズタイムと並んで“三大種牡馬”と呼ばれたのも束の間
早くも一強時代へと進み始めた頃

だから
マチカネフクキタルに対する注目度はさして高くなかった

事実
初勝利をあげたのはようやく3戦目

500万下を2戦で突破し
プリンシパルS2着でなんとか日本ダービー出走権を手にしたものの
本番では11番人気
結果も7着というものだった

振り返れば
新馬戦で敗れた相手は後の桜花賞馬キョウエイマーチ

プリンシパルSではサイレンススズカに屈し

日本ダービーでは
サニーブライアンの逃げ切りを許している

“速さ”に勝るライバルたちには
どうしても届かなかった

だが
その裏返しがマチカネフクキタルの持ち味といえた

すなわち
成長力とスタミナ

3歳7月の900万下・さくらんぼSを3馬身差で勝利したマチカネフクキタルは

そこから素質を開花させて栄光への階段を駆け上がっていく

神戸新聞杯は強烈な直線一気
サイレンススズカを差して1馬身4分の1突き放し
重賞初制覇を果たす

続く京都新聞杯も強い内容で
中団から差し脚を伸ばすと
古馬相手に好走していたパルスビート
日本ダービー3着のメジロブライトやステイゴールドらを降して重賞連覇を成し遂げ
完全本格化をうかがわせた

そして迎えたのが
1997年・第58回菊花賞

日本ダービー2着
秋初戦の京都大賞典ではダンスパートナーら古馬勢を一蹴したシルクジャスティスが1番人気に推され

メジロブライトが2番人気
マチカネフクキタルは3番人気という順


重賞連覇で自信を得たマチカネフクキタルは
力強いレースで勝利をつかみ取ることになる

好スタートを切ったマチカネフクキタルは
鞍上・南井克巳騎手にガッチリと手綱を引かれて控えると
逃げたテイエムトップダンら先行勢を好位〜中団の内で追走する

3コーナーでは外からシルクジャスティスとメジロブライトが進出していったが
慌てずに末脚をためたマチカネフクキタルは
そのパワーを直線で爆発させた

馬群を割っての差し切り勝ち
激しい2着争いに1馬身差をつける完勝のゴール

伸び悩んだ春の雪辱を
成長力とスタミナで果たした
4連勝での戴冠だった


  
【7】

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初代ゆるべろす (2023年09月02日 03時09分)




ツインターボ


サラブレッドの世界でヒーローやヒロインとなるためには
GI勝ち鞍が必要とは限らない

たとえビッグタイトルを獲得できなくとも
比類なき個性で多くのファンを魅了し
競馬史に名を残す馬もいる

1988年にツインターボは生まれた

父はライラリッジ
現役時代
アメリカのダート下級戦を2勝しただけの存在

この1988年生まれの世代が初産駒で
シンボリルドルフや
サクラユタカオーといった同期の新種牡馬に比べれば注目度はゼロに等しかった

いっぽう母はレーシングジィーン
こちらも11戦して1勝だけに終わった牝馬

目立たない血統に加え成長も遅く
期待を集めることなく育ったツインターボは

明け3歳の1991年3月にようやく初出走を迎えた


いきなり頭角を現す
中山ダート1800m戦で3馬身差のデビュー勝ちを果たし

続く500万下・もくれん賞でも1馬身半差で鮮やかに逃げ切ってみせた

その後の2戦
青葉賞は9着
駒草賞は5着に敗れるが

ラジオたんぱ賞を逃げ切って重賞初制覇を遂げたツインターボ

さらにセントライト記念2着
福島記念でも2着と好走を続けた

この年のヒーローといえば
3歳では皐月賞と日本ダービーの二冠を無敗で達成したトウカイテイオー
古馬ではメジロマックイーンだったが

ツインターボもひっそりと
だがしっかりと「中距離で逃げさせればしぶとい馬」との評価を勝ち取っていった

単にしぶといだけでなく
そのレースぶりがツインターボの評判を上げたといえる

向こう正面で後続を5馬身 6馬身とちぎっていく鮮やかな逃げっぷり

絵に描いたような“大逃げ”が
この馬のトレードマークだった

地味な血統の目立たない馬が一心不乱に逃げ粘れるか
それとも捕まるか

そんなスリルをツインターボは競馬ファンに与えたのだった

ツインターボにとってのキャリアのクライマックスは1993年5歳夏〜秋にかけてのこと

まずは七夕賞
スタートから2ハロン目が10秒6、3ハロン目が10秒9というスプリント戦並みのラップで飛ばしたツインターボは
そのまま2着に4馬身差をつけて逃げ切り勝ちを収める

続くオールカマーでもハイペースの大逃げを打ち
ライスシャワーやシスタートウショウといったGI馬を相手に5馬身差の完勝を飾った

結局
重賞勝ちはGIIIが3つだけという成績に終わったが

ツインターボは負けたレースでも輝きを放った

1991年の有馬記念では隊列をハイペースで引っ張ってダイユウサク勝利の波乱を演出した

ヤマニンゼファーが勝った1993年の天皇賞(秋)でもハナを切り

1994年の有馬記念ではナリタブライアンの露払いを務めた

迷いのない逃げで大レースを盛り上げた馬として
ツインターボは競馬史にその名を刻んだ


  
【6】

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初代ゆるべろす (2023年09月01日 21時31分)




クロフネ

確かに強い馬ではあるだろう

だが果たして
どう強い馬なのか?

多くのファンが
その馬=クロフネについて計りかねていたはず

そんな曖昧さを鮮やかに吹き飛ばしてみせたのが2001年の武蔵野Sだった

当初
クロフネは天皇賞(秋)への出走を目標としていたが
賞金不足で除外となり
やむなく前日の武蔵野Sに臨むことになる

初めてのダート戦
初めての古馬との対決
それでも1番人気に推されたクロフネだったが
レースを見守る眼は“半信半疑”というのが正直なところだった

ところがクロフネは
驚異的なパフォーマンスを披露する

中団外の位置取りから
3コーナーあたりで早くも加速

1000m通過57秒7というハイペースにもかかわらず
一気に仕掛けていく

そして直線では独走
1分33秒3という芝なみのタイムをマークして
クロフネは2着を9馬身も突き放してみせた

ダート最強
武蔵野Sの圧勝で結論を得た“クロフネの強さ”だが
そもそもは芝志向の強い馬だった

前年・2歳10月に迎えたデビューは芝のマイル戦 
ここは僅差2着に敗れたが

続く芝2000m戦を完勝し
同じく芝2000mのエリカ賞でも後続に3馬身半差をつけて勝利する

暮れのラジオたんぱ杯では
アグネスタキオンとジャングルポケット
後のクラシックホース2頭に遅れを取る3着だったが

明け3歳初戦・毎日杯では5馬身差の圧勝を飾り

NHKマイルCではとても届かないと思われた位置から豪脚を繰り出してのGI初勝利

この時点では「同世代の中で、特に芝のマイル戦では相当に強い馬」というのがクロフネの評価だったといえる


日本ダービーはジャングルポケットの5着

秋初戦の神戸新聞杯でもエアエミネムの3着に終わり
その強さに疑問を持たれた状態で走ったのが武蔵野Sだった

そして
第2回ジャパンカップダート
武蔵野Sの圧勝を受けて

クロフネは単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された

米G1馬リドパレス
前年の勝ち馬ウイングアロー
交流重賞2連勝中のミラクルオペラ
フェブラリーSの覇者ノボトゥルーらが相手でも
クロフネなら勝利してくれるはず
そう考えられた

実際
クロフネは勝利するどころか
強豪たちを相手にすらしなかった

スタート直後は後方の位置取り
3コーナーで一気に仕掛け
直線入口では早くも先頭という強引なレース運び

それでも直線では独走を決め

2着に7馬身差
2分5秒9という驚異的なタイムを叩き出しての1着だった

残念ながら右前浅屈腱炎のため
このレースが現役最後の一戦となってしまったクロフネ

もし無事なら「ダート世界最強」こそが
“クロフネの強さ”として記憶されることになったのではないだろうか



 
【5】

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初代ゆるべろす (2023年09月01日 21時07分)




ホクトベガ


あまたいる「牝馬G1馬」の1頭から「砂の女王」へ

ホクトベガがダートを舞台に活躍したのはわずか1年ほどだが
歴史とファンの記憶にその名を刻み
今もさんぜんと輝きを放っている

ホクトベガのデビューは93年
3戦2勝で挑んだフラワーCで重賞初制覇を果たしたが

春の二冠はベガの前に5、6着

秋はクイーンS2着
ローズS3着を経て
当時4歳限定だったエリザベス女王杯へと駒を進めた

1番人気はローズSまで3連勝中のスターバレリーナ、そして2番人気にはオークス以来の休養明けとなる二冠牝馬・ベガが推され
ホクトベガは9番人気の低評価にとどまっていた

しかし中団追走から直線で内を突いたホクトベガは抜群の伸び
先に抜け出した後のマイル女王・ノースフライトを競り落とし
見事にG1タイトルを手中にしたのだった

こうしてG1馬となったホクトベガだったが
その評価は決して高いものではなかった

「ベガはベガでもホクトベガ」

テレビ中継での名フレーズだが
当時のこの馬の立場をよく表している一節とも言える

翌94年には札幌記念こそ制したものの
この時点では「牝馬G1馬の1頭」に過ぎなかった

そんなホクトベガに転機が訪れたのは95年

この年から中央馬にも解放された川崎競馬場の牝馬重賞・エンプレス杯だった

抑えきれない手応えで好位を追走したホクトベガは
2週目向正面で先頭に立つと後続を引き離す一方の大楽勝
2着になんと3.6秒もの大差圧勝を見せたのだ

その後は再び芝に戻り
ダート本格参戦は96年からとなる

その初戦は
エンプレス杯と同じ川崎2000mの川崎記念
2着の愛知・ライフアサヒに5馬身差
3着には第1回ドバイワールドCへの遠征を控えていたライブリマウント

牡馬の強豪を下し
「砂の女王」へ向けて大きな一歩を踏み出したのだった

続くフェブラリーS(当時G2)は
約2年ぶりとなる中央でのダート戦

しかしここでも力が違うとばかりに
3コーナー過ぎに先頭へ

そのまま直線も降りしきる雪を切り裂く独走
中央のファンにもこの馬の強さを改めて証明した一戦となった

その後は帝王賞
南部杯などダート路線で遠征を重ね連戦連勝

この馬の強さをひと目見ようと
各地の競馬場に数多くのファンが足を運んだ

特に川崎競馬場ではエンプレス杯と川崎記念連覇で計4勝
中央馬ながら
スパーキングレディーCに「ホクトベガメモリアル」の名を残している

97年
その川崎記念をステップに挑んだのは第2回ドバイワールドC

全国の競馬ファンが大きな期待を持ってラジオに耳を傾ける中でゲートが開いた

そして
ナド・アルシバ競馬場第4コーナー

「砂の女王」は砂に斃(たお)れ
異国の地で天に輝く織姫となる………


   
【4】

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初代ゆるべろす (2023年09月01日 16時16分)




グラスワンダー


かつて
史上最強の2歳馬として認識されていたのはマルゼンスキーだった

新馬
いちょう特別
府中3歳S
そして朝日杯3歳Sと
いずれも本気を出さないまま4連勝してみせた1970年代の名馬

それから約20年
マルゼンスキーと並ぶ評価を得る馬が現れた
1997年デビューのグラスワンダー

こちらは圧勝の連続だった

新馬戦は2着を軽く3馬身突き放し
3着馬はさらに6馬身後ろという楽勝ぶり

2戦目でのアイビーSでは
差してなお2着を5馬身もちぎり捨ててみせた

京成杯3歳Sでは
単勝オッズ1.1倍の断然人気に推され
2着争いに1秒差
6馬身もの差をつける大楽勝だ

仕上げは朝日杯3歳S
着差こそ2馬身半にとどまったが
1分33秒6という驚異的なレコードタイムをマークする

こうしてグラスワンダーは
“史上最強の2歳馬”という称号を勝ち取った

当然
翌年の活躍も期待されたグラスワンダー

だが
骨折のため春シーズンを棒に振ってしまい
秋に復帰してからも毎日王冠ではサイレンススズカから1.5秒も遅れての5着

アルゼンチン共和国杯では次々に差されて6着
と不甲斐ないレースを続けた

早熟だったのか
そんな声も聞かれたほどだった

ようやく鮮やかな復活を遂げたのは
暮れの大一番・有馬記念のことだった

復帰後2戦とは打って変わって力強い脚取りを見せたグラスワンダーは
中団からジワリと進出し
女傑エアグルーヴやステイゴールドを突き放すと
直線では逃げ粘る二冠馬セイウンスカイもあっさりと交わし去る

春の天皇賞馬メジロブライトの追い込みを2分の1馬身振り切っての1着ゴール

およそ1年ぶりとなる勝利を難敵ぞろいのグランプリで飾って
グラスワンダーは最強馬の地位をふたたびその手に取り戻した

翌シーズンもグラスワンダーは
宝塚記念と有馬記念
2つのグランプリを勝利する

そのレースぶりには
確かに最強馬の風格が漂っていたといえる

まずは宝塚記念
安田記念で2着に敗れていたグラスワンダーは2番人気に甘んじ
1番人気の座を得たのは
春の天皇賞を制し
凱旋門賞遠征も視野に入れていたスペシャルウィークだった

ところがグラスワンダーは
直線で並ぶ間もなくスペシャルウィークを差し切っての3馬身差1着

スペシャルウィーク陣営を失意の底に叩き落し
遠征を断念させたほどの力強い勝利だった

有馬記念でも
スペシャルウィークとの叩き合いをハナ差制しての勝利

グランプリ3連覇の偉業を成し遂げる

判定写真から算出された両者の差はわずか4cmに過ぎなかったが
そのドラマチックな結末こそ
まさしく最強馬だけに許された勝利だったといえるのではないだろうか

 
【3】

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初代ゆるべろす (2023年09月01日 16時08分)




サイレンススズカ


鮮やかな末脚を繰り出して大レースを差し切る“瞬発力型”の多いサンデーサイレンス産駒にあって

類稀な先行力を武器に
大逃げでターフを沸かせた“スピード型”の個性派がサイレンススズカ

とはいえ
そのスピードを存分に生かすレースを身につけるまでには
ずいぶんと時間を要した

5月生まれ
デビューは3歳2月と同期の馬たちに比べて成長が遅れたことに加え
持ち前の気性難も頻繁に顔をのぞかせて
デビューからしばらくは不安定な走りに終始した

スタート直前にゲートをくぐってしまう
大きく出遅れる
イレ込んで道中では折り合いを欠く……

後続を引きちぎって勝つこともあれば
まるでレースにならず負けてしまうことも多かった

結局3歳時は9戦して3勝

素質の高さを感じさせながらも
サイレンススズカは飛躍できぬままのシーズンを過ごした


4歳となって気性も馬体も成長すると
サイレンススズカは一気に頂点への階段を駆け上がっていくことになる

バレンタインSは4馬身差の圧勝

中山記念も逃げ切って重賞初制覇

小倉大賞典では3馬身差で重賞連覇を飾る

圧巻だったのは金鯱賞

58kgを背負いながら
1000m通過は58秒1
各ハロン11秒台という猛烈なラップで飛ばし

直線を向いたところでも後続は遥か後方
結局そのまま逃げ切って重賞3連勝を果たす

2着ミッドナイトベットとの差は「大差」
勝ちタイム1分57秒8はレコードという圧勝だった

そして宝塚記念
4連勝中に鞍上を務めた武豊から南井克巳に手綱が替わったこともあってや慎重な逃げかただったが

それでも天性のスピードを十二分に見せつけたサイレンススズカ
最後はステイゴールドを4分の3馬身振り切って5連勝&GI初制覇を成し遂げた

秋になってもスピードは緩まなかった

毎日王冠では
後にジャパンカップを制して凱旋門賞でも2着となるエルコンドルパサー
有馬記念を連覇するグラスワンダー

歴史的名馬2頭と対決したのだが
これらを寄せつけず
2馬身半差の逃げ切り勝ち

この時点でサイレンススズカは
どんな馬も届かない地平に達したといえる

ところが
悲劇は突如として訪れた

断然の1番人気で迎えた第118回天皇賞(秋)

サイレンススズカは1000m通過57秒4の高速ラップで飛ばす

常識はずれのハイペースでも
ファンはそのまま逃げ切ってくれると信じた

4コーナーに差しかかるところでも
2番手はまだ遥か後方

直後
左前脚手根骨を粉砕骨折
競走を中止
予後不良……

そのスピード同様
サイレンススズカはあまりにも早く世を去り
誰にも手の届かない場所へと去ってしまったのだった



音速の貴公子
サイレンススズカは

同じくF-1で音速の貴公子と呼ばれた
アイルトン・セナの命日に誕生

セナの生まれ変わりだったのかもしれない
【2】

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初代ゆるべろす (2023年09月01日 15時57分)



エアグルーヴ


父はリーディングサイアーのトニービン
母はオークス馬ダイナカールという血統

見栄えのする馬体
調教での動きの良さ
そして走る馬特有の気性の強さ……

1995年にデビューを迎えた2歳の中でも屈指の期待馬だったといえるだろう

戦績

その期待に違わぬものだった
デビュー戦こそクビ差遅れの2着に甘んじたが
2戦目には後の重賞ウィナー・ダイワテキサスらを5馬身も引きちぎって圧巻の初勝利

いちょうSでは前が壁になる絶対的不利な状況から立て直して差し切り

初の重賞挑戦となった阪神3歳牝馬Sでは
ビワハイジから半馬身差の2着と好走した

年明け初戦のチューリップ賞では
そのビワハイジを逆転

好位から力強く抜け出し
あっという間に後続を突き放す

最後は5馬身差
力の違いを見せつける勝利を飾り
同期の牝馬の中ではナンバーワンの評価を獲得するに至ったのである

桜花賞の勝利も確実視されたエアグルーヴだったが
直前に熱発を起こしたため回避
次走にはオークスが選択されることになった

アクシデント明けでいきなりの2400m
いかにも苦しい条件だったが
それでも1番人気に支持されたことが
この馬の評価の高さを物語っている

そしてレースでは見事な走りで人気に応えてみせた

7〜8番手の外
鞍上・武豊騎手にガッチリと手綱を引かれたエアグルーヴは
3コーナーからジワリジワリ
抑え切れないほどの手ごたえで進出していく

直線ではとてつもない勢いで坂を駆け上がって先頭へ
伸びやかなストライドでラスト200mを駆け抜け

大外を追い込んだ桜花賞馬ファイトガリバーを1馬身半完封する鮮やかな競馬で勝利

あらためてこの世代の頂点に立つ馬であることを実証するとともに
ダイナカールに続くオークス母娘制覇という偉業も成し遂げたのであった

その後もエアグルーヴは
女王としての存在感を示し続けた

秋華賞はパドックのフラッシュに驚いてイレ込み
レース中の骨折もあって10着に敗れたが

翌4歳には鮮烈な復活劇
マーメイドSと札幌記念を連勝後

天皇賞(秋)をバブルガムフェローとの叩き合いの末に制する
天皇賞(秋)で牝馬が勝利したのはグレード制導入以降初のことだ

続くジャパンカップでもピルサドスキーのクビ差2着と健闘し
有馬記念では3着

牡馬と互角以上の戦いを繰り広げたことで
この年の年度代表馬に選出されることとなった

翌5歳時にも重賞2勝をあげたほか
宝塚記念3着
ジャパンカップ2着などターフを沸かせ

引退してからもエリザベス女王杯連覇のアドマイヤグルーヴら素質ある子どもを送り出し続けている

競走馬としても繁殖牝馬としてもエアグルーヴは
まさに名牝と呼ぶにふさわしい存在である


  
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