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【93】 |
へ? (2005年11月13日 15時06分) |
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これは 【92】 に対する返信です。 | |||
だからねー、1日単位で見りゃ大爆発の人もいれば大ハマリの人もいますわ。それがいわゆる両極端の2.5%ですわ。まさに、あなたの言ってる「2.5%の割合で極端な結果がでる人が存在する」です。これは否定しませんよ。でも、あなたは1年間打ち続けても2.5%に値する人がいると言ってるんでしょう?そうなると毎回大爆発を続けないと言ってる通りにならないんじゃないですか?コバカはどちらか一般の人は気づいていると思いますが・・・ |
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【92】 |
ユッコの32 (2005年11月13日 08時12分) |
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これは 【90】 に対する返信です。 | |||
へ? さんへ 私が言っている2.5%というのは、2.5%の割合で極端な結果がでる人が存在することであって、2.5%の確率で大当たりを引き当て続けるということではないんですよ。 もう少し良くスレを読んで、良ーく考えてレスしないと、それこそコバカにされますよ。 |
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【91】 |
もりーゆo (2005年11月13日 09時21分) |
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これは 【88】 に対する返信です。 | |||
>普通の運の持ち主(95%圏内の人)の結果は台スペックに近づいていくでしょうが・・・ ふつうに「確率の収束を待つ」と言っている人たちの大半は、ユッコさんの書いたような、この結果が出ることを期待して、ひたすら良く回る台を探して回すわけですよね。 で、これを期待するのは其れほど無謀な話でも無いとは思います。 ただし、一度大きく偏った結果を修正するような成果(大ハマリの後には何時か大連荘が来る、など)を期待しているのであれば大間違いと言うことになるわけで。 更に、「そうなる保障はどこにもない」 ユッコさんの言うところの、「確率の収束を待つ(狙う)」オカルトというのは、「そうなる保障はどこにもない」はずの「確率の収束」を、 さも「その結果となるのは(ほぼ)必然」と言ってしまう点に誤解或いは語弊が有ることを指しているのだと思います。 「確率の収束を待つ」と言うのは言葉として非常に語弊が有ると思います。 一応理論的に言えば、「確率の収束点は無限遠方にあり、(試行回数には限りがある以上)たどり着くことはありえない」ことになります。 (ユッコさんの言うところの「個人(台個別)において確率は収束しない」と言うのはこのことではないでしょうか?) で、当然収束に向かう過程で統計結果の曲線が「偶々」収束点の近似値辺りを通ることは比較的高確率で起こると思われます。 普通に「収束を待つ」と言っている方は、この近似値に寄り付くことを期待するわけです。 しかし、その過程において+−何れかにかなり偏った結果を出す方は必ず存在することになります。 そして、それが自分自身であるかどうかは誰にもわからないわけです。 1年間の大当たりが1/100で発生する人は、確かに存在するかどうかわからないほど極少数でしょう。 しかし、平均的な大当たり回数が2000回となる程度の回転数において、2200回を超える当たりを出す人は居るのではないでしょうか?逆に1800回を下回る人も。 1/400と1/100の違いに比べれば、たった10%の誤差です。 しかし、これが実際の結果として考えれば大きな金額差となります。 「確率の収束」を考えるとき、「大当たり率」の収束ではなく「大当たり回数」の収束を求めてしまう方が、 おそらく少なからずいるのではないでしょうか? そして「こんなに回数に差が出るなんてありえない!」或いは「今1800回だが、いつか(2000回+今後の試行回数に相当する大当たり期待回数)に近づくだろう」 と考える方が居るのではないでしょうか? 「確率の収束」にはその辺りの誤解が多いのではないかと私は思ってるのですが。 |
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【90】 |
へ? (2005年11月12日 23時02分) |
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これは 【88】 に対する返信です。 | |||
1/400の機種では計算上10回転で当たる確率がおよそ2.5%の確率です。もし毎回初当りを10回転で引き続けて1年たったなら32さんの言ってるとおりになるかも知れませんが、考えればわかるように不可能でしょうw長い目で見れば「確率の収束を待つ」ってゆうのは全然オカルトでも何でもないですよ。もちろんそれは個別の台についてではなく、自分の引きという意味ですがね。 |
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【89】 |
へ? (2005年11月12日 22時50分) |
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これは 【88】 に対する返信です。 | |||
んー、例えば1日目はAさんがその強運の2.5%を引いたとします。でも2日目も3日目もそのAさんが強運の2.5%を引きますか?40人いたとしたら強運者は毎日コロコロ変わるんじゃないですか?だから試行回数を増やせば強運の日や大ハマリの日を経験しながら収束に近づいていく、と言っているのですが。32さんの考えでは毎日強運の人は同じ、とゆうことになるんでしょうか??それであれば私みたいな凡人が大勝ちする日なんてないはずなんですがねぇ・・・何か考え方間違っていませんか? |
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【88】 |
ユッコの32 (2005年11月12日 22時35分) |
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これは 【87】 に対する返信です。 | |||
うーむ なかなか結果平等のオカルトは根強いですねー。 デジパチはひとりひとりに対して平等に大当たり判定をしてくれてはいますが、結果は平等にはなりません。 確かに試行回数を増やしていけば、普通の運の持ち主(95%圏内の人)の結果は台スペックに近づいていくでしょうが、それからはずれた5%の人の結果は、それこそ何でもありのとんでもない結果がでても不思議ではないのです。 40人に1人というのを400人に1人の割合で出現する結果に置き換えると、とんでもない結果がでているんだと思いますよ。 なにしろパチンコ人口数百万人ですからね。数百人のオカルトの語り部がいても不思議でも何でもないんですよ。 前にも書きましたが、「確率の収束を待つ(狙う)」というのはホールや掲示板にはびこる最悪最凶のオカルトだと思いますが、「結果も平等になるはずだ」というのもとんでもないオカルトだと思いますよ。 |
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【87】 |
へ? (2005年11月12日 21時46分) |
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これは 【86】 に対する返信です。 | |||
1/400の機種を1000人で打って初当り回転数を競うとします。10回転以内で当たる人もいれば1500回転回して当たらない人もいるでしょう。2.5%とはそういう人達のことでしょう。 しかし1/400の機種を1年打ち続けて初当りの通算確率が1/100以下になる事なんてあるのでしょうか?試行回数を増やせば考え方が変わってくるのでは?? |
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【86】 |
ユッコの32 (2005年11月12日 21時19分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
デジパチの大当たり判定が独立抽選試行で決まっている以上、結果にバラツキのでるのは当然のことです。 統計学上、母集団の約2.5%の人が結果的に極端に大当たり確率が高く、反対に約2.5%の人が極端に大当たり確率が低くなってしまいます。 2.5%といえば40人に1人です。 その人がある打ち方を実戦していた場合、その人はその打ち方が有効だと信じてしまうでしょう。 その人こそが数あるオカルト教の教祖様になって、その戦法を掲示板などに書き込むのだと思います。 しかし、40人に1人という強運はだれにでもある訳は無く、その戦法を真似した人は手痛い敗北を喫してしまうわけです。 たまたま自分がやった戦法が、たまたま運よく大当たりを引き続けた。 これこそがオカルトなのだと思います。 パチンコの大当たり判定が独立抽選で行われている以上、オカルトを語る人はあとをたたないと思います。 なにしろ40人に1人ですからね。 わかりましたか 完全確率云々のトピ主様 |
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【85】 |
うんうんこ (2005年11月12日 20時52分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
オカルトでもボーダーでもどっちでもいいです。自分より勝ってる人は尊敬、負けてる人は軽蔑、それだけの事です。手段は関係なし、結果あるのみです☆ |
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【84】 |
作太郎 (2005年11月12日 00時48分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
物の考えに共感し又、興味をもち「自分と同じだ、」と感ずると自分の中で、 「自分の考え方は多くの人と同じなんだ、仲間がいっぱいいるんだ」と感動を覚えます。 感動は自我を目覚めさせます。 考えを正されたとき、人は抵抗をします、仮に、同じ考えの物が戦火の中にいるのなら 身を投じて助けようとするでしょう、又守ろうとするでしょう。 勇気有る物は先に攻撃をし、盾になろうとする者まで現れるでしょう。 その真意は解りません、同じ考えである事を主張して己を再認識したいのか、 させたのいか、自分はここにいるぞと見せたいだけなのか。 真意はちがう考えを持つ者同士が向き合い、いがみ合い、戦ってこそ 相手の本心が見える者です、私はこの場で切磋琢磨し、成長したい、 物を考え、高める方法には、2種類の方法が人間は有ります。 1つは、頭で、論理的に矛盾を求め追求し分析し答えを見つけます。 物理学、化学、法医学、統計学、ets 1つは、心体で、感覚的に物事を進め察知し身を守り答えに到達します。 心理学、精神医学、仏教、易学、ets この二つは人間が学ぼうとした時、あげられるほんの一部のが学問ですが、 お互いけなすわけでもなく、否定するわけでもなく、 人間が成長する上で必要だと思われたから、学問として残った物です、 知識として物理的な物と精神的ものの2つです。 物事に向かい合う時に、頭だけではない、心や想いだけでない、 好き嫌いは別として人間には、両方必要なのだと、先人が残してくれた物です。 その事をふまえ、考えてはみませんか! |
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