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【91】 | RE:オカルトの何が悪い? もりーゆo (2005年11月13日 09時21分) |
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>普通の運の持ち主(95%圏内の人)の結果は台スペックに近づいていくでしょうが・・・ ふつうに「確率の収束を待つ」と言っている人たちの大半は、ユッコさんの書いたような、この結果が出ることを期待して、ひたすら良く回る台を探して回すわけですよね。 で、これを期待するのは其れほど無謀な話でも無いとは思います。 ただし、一度大きく偏った結果を修正するような成果(大ハマリの後には何時か大連荘が来る、など)を期待しているのであれば大間違いと言うことになるわけで。 更に、「そうなる保障はどこにもない」 ユッコさんの言うところの、「確率の収束を待つ(狙う)」オカルトというのは、「そうなる保障はどこにもない」はずの「確率の収束」を、 さも「その結果となるのは(ほぼ)必然」と言ってしまう点に誤解或いは語弊が有ることを指しているのだと思います。 「確率の収束を待つ」と言うのは言葉として非常に語弊が有ると思います。 一応理論的に言えば、「確率の収束点は無限遠方にあり、(試行回数には限りがある以上)たどり着くことはありえない」ことになります。 (ユッコさんの言うところの「個人(台個別)において確率は収束しない」と言うのはこのことではないでしょうか?) で、当然収束に向かう過程で統計結果の曲線が「偶々」収束点の近似値辺りを通ることは比較的高確率で起こると思われます。 普通に「収束を待つ」と言っている方は、この近似値に寄り付くことを期待するわけです。 しかし、その過程において+−何れかにかなり偏った結果を出す方は必ず存在することになります。 そして、それが自分自身であるかどうかは誰にもわからないわけです。 1年間の大当たりが1/100で発生する人は、確かに存在するかどうかわからないほど極少数でしょう。 しかし、平均的な大当たり回数が2000回となる程度の回転数において、2200回を超える当たりを出す人は居るのではないでしょうか?逆に1800回を下回る人も。 1/400と1/100の違いに比べれば、たった10%の誤差です。 しかし、これが実際の結果として考えれば大きな金額差となります。 「確率の収束」を考えるとき、「大当たり率」の収束ではなく「大当たり回数」の収束を求めてしまう方が、 おそらく少なからずいるのではないでしょうか? そして「こんなに回数に差が出るなんてありえない!」或いは「今1800回だが、いつか(2000回+今後の試行回数に相当する大当たり期待回数)に近づくだろう」 と考える方が居るのではないでしょうか? 「確率の収束」にはその辺りの誤解が多いのではないかと私は思ってるのですが。 |
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【96】 |
アンチ感性 (2005年11月13日 17時27分) |
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これは 【91】 に対する返信です。 | |||
ユッコの32 さん、はじめまして。 もりーゆo さん、ご苦労様。 ここは日本版文化大革命を推進するトピのようです。両先生が何をおっしゃりたいのかすら分かってないのに、トンチンカンなレスが氾濫してしまうトピです。 言語が違うんで、いっくら丁寧に説明したとしても理解は得られないと思いますよ。私と一緒に退散することをオススメします。 |
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