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【76】 | RE:パチ、スロ、もうやめたいんや! Ω心理教幹部候補 (2007年04月12日 02時41分) |
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自分も以前は中毒状態に陥っていましたから凄くよくわかります。 全ての収入をパチやに貢ぎ、他の趣味といったら麻雀ぐらいでした。普段の会話といえばパチンコの事ばかり。「昨日さぁ確変がさぁ〜連してさぁ」とか「スロットの〜番台の設定がさぁ」とか。 会話の9割ぐらいがパチンコ、スロット。 パチンコしない人たちとの共通の話題なんて皆無です。また自分を取り巻く環境がそういった人たちばかりだったので自分自身を見つめなおすタイミングもなく、「いかに稼ぐか」が一種のステータスだったような気がします。 その当時も負けが続けば「止めたい」と思う気持ちはありました。パチンコ(スロ)に変わる何かを見つければ止めれると思っていました。就職さえすればどうにかなると思っていました。 でも長年にわたって染み付いたものはそんなに簡単に抜けるものではありません。 結局パチに変わる物なんて自分には何もありませんでした。仕事ですらパチンコの魅力の前では糞みたいなものでした。 いくら痛い目みようともそれに勝る魅力がパチにはあります。だから借金しようとも 止めたいという気持ち⇒止める に到達できないんです。 結局金額の大きい、小さいというだけの単純な問題ではないと思います。 あたるクンさんはパチンコ屋にいっていることに恥ずかしいという気持ちはありますか?恐らくない、もしくは思っていてもそれほどでもないような気がします。お仕事もされているようですし、たまの休日の憩のひとときという感覚なんだと思います。それは決して私は否定したりしませんよ。 ただ私の場合は大学卒業後、一年間ニートを経験した後にホテルに就職しました。フロントに2年間勤め、やるせなくなって勢いで辞めました。その後毎日のようにパチやに通いました。何故だか絶好調で最初の3ヶ月で120万ぐらい勝ちました。 その後に3ヶ月間勝ちもせず、負けもせずの状態が続きました。その時期は毎日同じ店に通い続け、店員も「またあいつ来てるよ!やだね、ニートは!」って心の中で思ってたことでしょう。 ただ、自分以外にもそういう連中はいくらでもいました。私は一人で活動していたのですが、他の連中は集団で活動していて収支を挙げるために死に物狂いでハイエナやらなんやらやっていました。 明らかに店員にも嫌われ、客にも嫌われ、皆に嫌われた挙句にいつの間にか消えていました。恐らく他人を犠牲にして、なにもかも捨て、全てをスロットに費やした挙句なんの成果も出せず身も心もボロボロになってしまったのでしょう。 彼らには何か残るものはあったのでしょうか?今からでも遅くないという人もいると思います。ですがどれだけ出遅れてしまったのでしょう。これを挽回しようと思うのは並大抵ではありませんし、いづれ自分たちがいかに無駄な時間を過ごしてきたのか気づくことになるかも知れませんが、その時間的な損失の大きさは半端じゃありません。 |
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【77】 |
Ω心理教幹部候補 (2007年04月12日 02時42分) ID:XuKdInWr |
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これは 【76】 に対する返信です。 | |||
続き(長すぎてはいらんかった〜) 自分がまだ大学に通っていた当時、麻雀最強と思えるぐらいの人がいました。後にも先にもこの人よりもギャンブルが強い人間は現れないのではないかと思えるぐらい。その人は当時雀荘を経営していて腕は半端じゃなかったです。自分でいうのもなんですが私もそこそこのレベルなんです。恐らくプロテスト受ければ受かるんではないかと思います。そんな私から見てもその知り合いは半端じゃなかったです。 当時の私からすればカリスマ的存在でした。 その雀荘には不動産の社長やら金持ちが沢山集まっていました。羽振りは皆、相当なものでした。 大学を卒業し、ホテルに勤め、やめた後久しぶりに雀荘の店長に会いました。当時は輝いていたのに久しぶりに会った彼は疲れた表情で、やつれていました。 話を聞くとパチンコで喰っていくために店をたたんだそうです。その後負けが続き食事代すら満足に行かないような感じで自分がご馳走してあげました。 「最近みんなどうしてる?」と聞くと「○○さんと○○さんは返済地獄にはまって過労で死んだ。○○さんは金もって逃げた。○○さんは事業失敗して日雇いやってる。」・・・。愕然としました。一緒につるんでいた人たちが皆そんな状況になっていました。作り話に聞こえるかもしれませんが事実なんです。 所詮そんな話は他人事であって自分の身の回りでそんな事が起きるとは夢にも思いませんでした。 あまりの衝撃で言葉を失い、同時に可愛そうという同情の気持ちを通り越して「こいつらのようにはなりたくない!」と強く感じました。 また毎日パチンコ屋に通いながら感じていた店員の目線や恥ずかしいという気持ち、どうしようもない客の行動やそれに対する怒り、苛立ち、哀れみ。全てが重なりすぎて破裂しそうになりました。自分自身のこれまでの人生を省みて恥ずかしくて恥ずかしくて・・・ 最後に店長が「悪いんだけどさ・・お金かしてくれないかなぁ・・。20万ぐらい・・」と申し訳なさそうに自分に言ってきました。かえってくる見込みは低いと思いましたが、自分は貸しました。 その人に対する恩義もあるし、何よりも自分自身への決別の意思表示として。 その人は「ありがとう・・。絶対返すよ・・。お前だけは俺たちの中で全然若いし、まだまだ可能性もあるし。決して俺たちみたいにはなるなよ。」といっていました。その人を含む当時私が交流を持っていた人達の多くはそのひ暮らしみたいな生活を送っています。 ある意味私はそんな光景を目の当たりにすることができラッキーだったと今では感じています。 ホテル退職後の半年間は私にとって立ち直るきっかけになったと思います。 その経験がなければ私は今もパチンコ屋に通っていたかもしれませんね。 |
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