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【4525】 | RE:作者不詳 メルカトル (2011年06月01日 23時27分) |
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ドウコクさん、こんばんは。 >あと、1階や2階に比べ、防犯や騒音の面で上の階の方が人気が高いようです。(不動産屋さん談) なるほど、セキュリティーのしっかりしたマンションでも、やはり空き巣などの犯罪は起こるものなのでしょうね。 また都会では騒音の問題も、見過ごす事はできません。 そう考えると、1階より2階と上の階の方が人気になるのも頷けますね。 確かに地震は上階になるほど揺れが激しいと思いますけど。 非常時にも逃げ遅れる可能性が高いですしね。 >えー、見る必要は無いと思います。(笑) 途中から観ても何がなんだか分からないでしょうからね。 >そうですね。 いかにも、すぐに続きがあるような印象だったのですが。 そうですよね、私はノベルズが刊行されてすぐ読みましたが、当時は期待に胸を膨らませていたのですが。 結局、待てども待てども続編は出ませんでした。 >まあ、でも、そこに至るまでは、独特の雰囲気と驚愕のトリックで、とても良い作品だったと思います。 そうですね、動機の面では弱いかなと思いましたが、単純明快で、しかも驚きのトリックは納得です。 時代を感じさせるドロドロした雰囲気も秀逸でしたしね。 >加えて、(何事につけても)新たに頭に入って来にくい。 AKB48なんて、何度読み方を調べたことか。(笑) ハハ、すみません、思わず笑ってしまいました。 私は最近やっと、AKB48のメンバーの何人かは顔と名前が一致するようになりました。 それにしても遅すぎますよね、時代に完全に乗り遅れています。 >でも、三津田氏の場合は、二転三転しても、ただ単に「話が混乱しているだけ」のような気がします。 確かにそれは言えているかも知れませんね。 私が『ホラー作家の棲む家』を途中で挫折したように、本作でもそうした読者が混乱を招くようなややこしい作風になってしまっているのでしょうか。 >作中作「子喰鬼縁起」がまさにそれで、結局、何が真相だったのか、どこがポイントだったのか、私には分かりませんでした。 それが三津田氏の持ち味とも言えるかも知れませんが、どこか茫洋として掴みどころのなさが読者の不評を買ってしまっているとも言えるようですね。 >本当はどうだったのか、よく分かっていません。 >(いわば、最後まで読んだのに、挫折したのと等しい。) そうですか、やはりそこかしこに潜む割り切れなさが、ドウコクさんには耐えられなかったみたいですね。 畢竟ミステリである限り、いくらホラー色が濃くても最低限ミステリとしての流儀は守って欲しかった、と言う事でしょうか。 >もちろん、そんな感想を抱かずに、氏の手腕を認める方のほうが多いとは思います。 >でも、私には……。 こうなったら、もはや相性の問題でしょうね。 私は、本作の雰囲気と言うか作風と、それぞれの作中作が結構気に入っての高評価だったのだと思いますが、ドウコクさんのような感想を持たれた方も結構多いのかもしれませんね。 確かに相性の悪さもあるのかも。 私は最近の作品にそれを感じます、特に読みづらさですね。 『首無の如き祟るもの』は確かに傑作だとは思いますが、文体が私には合いませんでした。 もしもっと私にとって読みやすい作家がこれを書いたのなら、絶賛しますけど、そこまで褒める気になれないのはやはり相性の悪さなのかも知れませんね。 ではまた ^^ |
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【4533】 |
ドウコク (2011年06月02日 22時35分) |
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これは 【4525】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >なるほど、セキュリティーのしっかりしたマンションでも、やはり空き巣などの犯罪は起こるものなのでしょうね。 1、2階の場合、ベランダから侵入できるので、オートロックや常駐の管理人さんは、あまり意味が無いでしょう。 オートロックにしても、ウチの場合、それを開けるカードを無くしたり持つのを忘れても、 容易に壁をよじ登って、2階の正面から入ることができますよ。(実際、夜間に何度か、経験済み。 昼間は、さすが無理ですが。) >時代を感じさせるドロドロした雰囲気も秀逸でしたしね。 確かに、あの時代でしか出現しない、血なまぐささでした。 あと、「明治」の部分を変えて、架空っぽい設定にしたのも、とても感心した覚えがあります。 >私は最近やっと、AKB48のメンバーの何人かは顔と名前が一致するようになりました。 おお、凄いじゃないですか。 私なんて、TVでもほとんど見たことが無いので、まず、顔を知らない。 こうなると、「時代に乗り遅れる」というより、もはや世捨て人。 いや、「世間に捨てられてしまった」が、正解。(笑) 三津田信三氏「作者不詳」、つづき。 >そうですか、やはりそこかしこに潜む割り切れなさが、ドウコクさんには耐えられなかったみたいですね。 これはですね、「割り切れなさ」という意味では、作中作の「朱雀の化け物」と、ラストに感じただけで、 それほど多い、とも感じなかったです。(無意識にいくつか、というのは、あるかも知れませんが。) それよりも、メルカトルさんの指摘する、「読みづらさ」の方が近いかも。 同じ二転三転させるにしても、どうして他の作家のような、「まんまと騙された」感を感じないのか……。 ラストで本来なら、「まだ、隠された真相があるのかっ!」と驚くべきところが、そうは感じさせない……。 それは、「読みづらさ」から来ているのかも知れないですね。 だとすれば、読者に「読みづらさ」を感じさせるのもどうか、と思ってみたり、みなかったり。 単に、自分の読解力の不足?、と反省したり、しなかったり。 で、色々と考えて、「ただ、相性が悪い。」となりました。(笑) まあ、あんまり批判するのも何ですので(ホントは、他にもあるけど)、明日はホメます。 |
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