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【2756】 | 忌館 ドウコク! (2010年06月16日 22時45分) |
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メルカトルさん、こんばんは。 >『リング』の場合は、ハリウッド版もある程度成功しているわけですか。 この「成功」というのが、商業的な意味であれば、それは私には分かりません。 映像的という意味なら、わざわざハリウッドでリメイクした意味はあまり無いかな、という感じです。 やはり、ああいう陰湿な「怨念」系は、日本の方がピッタリくるのではないでしょうか。 (しまった、メルカトルさんが映画を観ているかどうか、忘れた。 観てなかったら、下記、失礼。) 呪いのビデオでも、日本版の「女が鏡を見ながら髪をとかす」、「指を指す男」などの映像の方が恐かったです。 やはり、ハリウッドは、「血がドバー」、「キャー!」系の方が得意だと、感じました。 ところで、いろいろ批判もしましたが、「呪怨」、「2」もあるし、また更に続編もあるようで、 世間の評判は高いと思います。 私などの低い評価は、少数でしょう。 江戸川乱歩「芋虫」 >( 略 )対称として描く事により、人間の悲しい性を表現しているのではないかと思います。 > ( 中 略 ) >自らの命を絶つわけですが、その前に必死の思いで書いた「ユルス」の一言が私の心に重くのしかかって来て、 >胸を締め付けられる思いがしました。 なるほど、こういう点に着目されたのですか。 ならば、「深いドラマ性」を感じられたのも納得です。 私はそこまで読み取れませんでした。 とにかく、ただただ表面上の戦争、傷のひどさ、などに衝撃を受けただけでした。 読みが浅いですね。 さて、三津田信三氏「忌館(ホラー作家の棲む館)」(次より、「忌館」で)。 「挫折したわけですが、いずれ読もうと考えてはいます。」とのこと。 これに関しては、私は、「挑戦する価値は無さそう」と考えますが。 どこで挫折したのかは、今は分かりませんが、恐らく最初の方ではないでしょうか? この辺を知ってから、詳細は報告したいと思います。 |
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【2758】 |
メルカトル (2010年06月16日 23時43分) |
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これは 【2756】 に対する返信です。 | |||
ドウコク!さん、こんばんは。 >映像的という意味なら、わざわざハリウッドでリメイクした意味はあまり無いかな、という感じです。 そうでしょうね。 『ゴジラ』がハリウッドで製作された時に感じた、一種の違和感に似ているかも知れませんね。 どちらも日本という土壌があって初めて成り立つ映画のような気がします。 >やはり、ハリウッドは、「血がドバー」、「キャー!」系の方が得意だと、感じました。 その辺りはお国柄の違いが深く関係してくるでしょうね。 日本ではじわじわと怖がらせるほうが国民性にあっているし、観客も喜ぶと思いますが、アメリカではやはりストレートな恐怖を描かせたほうがヒットしそうですね。 >とにかく、ただただ表面上の戦争、傷のひどさ、などに衝撃を受けただけでした。 読みが浅いですね。 読みが浅いとは言えないと思います。 感じ方は人それぞれですし、確かに戦争の悲惨さを訴えた小説としての捉え方もできるでしょう。 実際、本作が発表された際には、左翼からは反戦小説として絶賛されたらしいですし。 >どこで挫折したのかは、今は分かりませんが、恐らく最初の方ではないでしょうか? おっしゃる通りです、鋭いですね、さすがによくご存知で。 三津田氏の文体はもともと私にはあまり合わないのと、なんだか先を読んでも面白そうな展開が待っていない様な気がして。 さて本日は江戸川乱歩『芋虫』から『指』と『火星の運河』の感想を少々。 『指』 これは短い作品です、いわゆるショートショートみたいなものだと思って下さい。 舞台は病院の個室。 ピアニストである患者は、その才能をうらやむ誰かから右手を奪われるが、本人はまだその事実を知らない。 見舞いに訪れた「私」にピアニストの彼は自分の指はまだピアノを弾けるだろうかと尋ねられ、本当のことを知らせるのを躊躇われた「私」は大丈夫だと嘘をついてしまう。 そして彼は包帯でくるまれた腕でピアノを弾く仕草をして、「ああ、本当だ、大丈夫そうだ」と答える。 しかし、その後「私」が看護婦と共に手術室で見たものは・・・。 と言った怪奇小説です。 既読でしたら重複してしまいますが、お許しを。 怖いです、この作品も。 後からじわじわ来る感じで、この短編集の中では『芋虫』に次いで印象に残っています。 『火星の運河』 この作品はちょっと訳が分かりません。 いきなり「私」がいやらしい虫どもが跋扈する森の中を彷徨っている場面から始まり、やがて自分の肉体が憧れの女性の身体に変化してしまい、狂喜します。 そして何故だか、自分を含めた景色の中に足りない“色”があることに気付く。 それは朱色、そう血の色。 「私」は夢中で自分の体のいたるところに掻き疵を付けて全身を朱色に染める、つまりそれこそが「火星の運河」なのである・・・ が、実はそれは「私」の○○であったと言うオチがつきます。 そしてその後にもう一つのオチがあります。 つまり、二段階落としです。 正直何が言いたいのか判然としないのは、私の読みが浅いためかもしれませんが、これは誰が読んでも作者の本意を読み取り難い作品である事は間違いないと思います。 かなりネタバレしてしまっていますが、これも既読でしたら失礼。 ではまた ^^ |
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