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【17】

RE:《ゆるせぽね》   編集  評価

初代はーです (2023年09月05日 23時38分)



ひだりをおしてください

なかをおしてください

みぎをおしてください

 
【16】

メモリアル   編集  評価

初代ゆるべろす (2023年09月05日 20時21分)




ナリタブライアン


ダイワメジャー
ダイワスカーレット兄妹の例を持ち出すまでもなく

現在の日本競馬では名馬の弟
妹や名牝の仔がターフを沸かせる例は数多い

しかし
以前は今となっては信じられないような格言が存在した

名牝の仔は走らない
名馬の下は走らない

期待を集めながら未勝利で終わってしまう馬

新馬や特別こそ勝っても
その先が続かぬ歯がゆい馬

「走らない」の程度に差こそあれ
90年代前半までは確かにそんな時代だった

93年にデビューしたナリタブライアンも
当初はそういった馬の1頭かと思われた

ひとつ上の兄・ビワハヤヒデは皐月賞
ダービーで2着になり
菊花賞制覇

その一方
ナリタブライアンは4戦目に福島で500万特別を勝ち上がったものの
兄が制したデイリー杯2歳Sでは3着に敗れ
一流馬になりきれぬ歯がゆさを感じさせる馬だった

しかし
6戦目の京都2歳Sでナリタブライアンは一変する

このレースから装着したシャドーロールを鼻面に踊らせ
後続に3馬身差の完勝

続く朝日杯3歳Sでも後続に3馬身半の差をつけ
ハナ差で敗れた兄の雪辱を果たすとともに
シャドーロールという新たな武器を手にして一躍クラシック候補へと躍り出た

翌94年春は圧勝に続く圧勝劇

共同通信杯4歳S
スプリングSを連勝して挑んだ一冠目

皐月賞は2着に3馬身半差

そしてダービーでは5馬身差の大楽勝

兄・ビワハヤヒデも春は天皇賞
宝塚記念の連勝で超一流馬としての地位を固めつつあり

僅か半年と少々の間に「史上最強の兄弟」とまで言われる2頭となった

当然
ファンの期待はナリタブライアンの三冠
そしてその先に待つ2頭の兄弟対決に集まった

秋に
その期待のひとつは達成され
そしてもうひとつは永遠の夢と終わることになる

秋初戦の京都新聞杯では2着と不覚を取ったナリタブライアンだったが
ファンは菊花賞でも単勝1.7倍の断然人気に支持

その期待に応え
稍重の馬場ながら上がり34秒3の脚を繰り出し
2着に7馬身差をつける圧勝

シンボリルドルフ以来
史上5頭目の三冠馬となる栄誉を手中にした

一方のビワハヤヒデは
菊花賞の1週前に行われた秋の天皇賞で5着に敗退

レース中に屈腱炎を発症しており
有馬記念での兄弟対決が実現されることはなかった

しかし
ナリタブライアンはそんな兄の無念を晴らすかのように

有馬記念でも3馬身差の完勝

文句なしで
前年の兄に続く年度代表馬のタイトルを獲得した

その後は股関節や腰に不安を抱え
本来の実力を発揮できずに終わったものの

三冠合計15馬身半差はディープインパクトの9馬身半を大きく上回る

「ビワハヤヒデの弟」から
日本競馬史上に残る名馬へと駆け上ったこの1年は
今も多くのファンの心に残っている


 
【15】

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初代ゆるべろす (2023年09月05日 20時12分)




ヒシアマゾン


日本ダービーを制したウオッカを筆頭に

近年は2000mを超える距離で一流の牡馬と互角以上の勝負を見せる牝馬も多くなってきた

しかし以前は
短距離戦ならまだしも
中〜長距離になると牡馬の壁は非常に厚かった時代があった

そんな中で
牡馬と対等の勝負を演じたのがヒシアマゾン

ヒシアマゾンは93年にデビューし
すべて牡馬相手に3戦1勝2着2回で阪神3歳牝馬Sに駒を進めた

すると
牝馬同士なら力が違うとばかりに好位追走から後続を5馬身突き放す圧勝劇

けた違いの能力を示し
最優秀3歳牝馬に選出された

当時は外国産馬にクラシック出走権はなく
翌春は京成杯2着後
クイーンC
クリスタルC
そしてニュージーランドT4歳Sと3連勝

とても届かない位置から差し切ったクリスタルCでの豪脚は今でも語りぐさ

この圧倒的な強さから
春の時点で早くも牡馬二冠馬・ナリタブライアンとの対決を楽しみにする声が大きくなっていった

秋を迎えたヒシアマゾンは復帰戦のクイーンS
そしてローズSを連勝し

当時4歳限定のエリザベス女王杯へと出走する

桜花賞馬・オグリローマン
オークス馬・チョウカイキャロルも出走していたが

ここは1.8倍の断然人気

レースでは並んで追い込んだチョウカイキャロルに苦戦を強いられたものの

ゴール前でハナ差これを競り落とし
重賞6連勝で有馬記念へと向かった

待ち受けるは
菊花賞で見事三冠を達成した同期のナリタブライアン

ヒシアマゾンの強さも認められていたとはいえ

3歳牝馬がこの距離で古牡馬相手となる点を不安視する声も多く
6番人気の低評価にとどまった

しかし
ヒシアマゾンはそんな声に反発するかのような激走を見せる

4コーナーで先頭に立ったナリタブライアンの直後から追い

最後は3馬身の差こそつけられたものの
3着ライスシャワー以下
古牡馬陣には「完勝」の2馬身半差

改めてその力を証明し
最優秀4歳牝馬に選出された

古馬になったヒシアマゾンは
レース選択に苦労することになる

当時
外国産馬は天皇賞に出走権がなく
古牝馬のG1競走も存在しなかった

活躍の場を海外に求めたが
脚部不安で出走を断念

そして高松宮杯では
初めて連対を外す5着に敗退してしまう

しかし
それでもヒシアマゾンは強かった

秋はオールカマー
京都大賞典と連勝

さらにジャパンCでは
豪快な差し脚を発揮して日本馬最先着の2着好走

この活躍で最優秀5歳以上牝馬に輝いた

翌年はダート戦出走も検討されたが
抜群の適性を見せた同厩・ホクトベガに任せ芝路線へ

この96年から古馬に解放されたエリザベス女王杯で2位入線降着などを経て
有馬記念5着を最後にターフを去った

現在はヴィクトリアMの創設や
ほかの重賞も多く整備された古牝馬路線

その過程を語る上で
牡馬相手に大健闘を見せ
そして同時に苦しんだヒシアマゾンは決して忘れられない存在となっている

 
【14】

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初代ゆるべろす (2023年09月05日 02時28分)




テイエムオペラオー


距離別のレース体系が確立し「万能型の強豪」が生まれづらいのが現在の日本競馬

そんな中
2000mから3200mまで
ペースや馬場状態に左右されず連勝を重ね「万能の最強馬」に近づいたのがテイエムオペラオー

そのデビューは98年8月の新馬戦

ここで2着と好走したが
骨折により約半年の休養を強いられ
現役生活は順調なスタートとは言い難いものであった

しかし
翌年2月の復帰2戦目から毎日杯まで3連勝

追加登録料200万円を支払って皐月賞へと駒を進めた

その皐月賞は
アドマイヤベガ
ナリタトップロードなどが上位人気を占め
テイエムオペラオーは5番人気に過ぎなかったが

4コーナー大外から豪快な伸び脚を発揮
見事に一冠目を手中にした

ただ
続く日本ダービーは3着

秋も菊花賞2着

そして有馬記念では3着に敗退

テイエムオペラオーの3歳時は
最優秀4歳(現3歳)牡馬にこそ選出されたものの

まだ「G1馬の1頭」に過ぎない存在だった

翌01年
古馬になったテイエムオペラオーは
一気に最強馬への階段を駆け上る

年明け初戦の京都記念
そして阪神大賞典も連勝

迎えた天皇賞(春)では
先に動いた菊花賞馬・ナリタトップロードをマークして競り落とし
ラスカルスズカの追撃も抑えて皐月賞以来となるG1タイトルを獲得した

続く宝塚記念では
後々死闘を繰り広げることになるメイショウドトウを叩き合いの末に下して優勝

4戦無敗
G1・2連勝でテイエムオペラオーは春の戦いを終えた

秋は復帰戦の京都大賞典で順当に勝利を手にすると

重馬場の天皇賞(秋)では後続に2馬身半の差をつけ天皇賞春秋連覇

さらにジャパンCはメイショウドトウ
ファンタスティックライトを左右に従える壮絶な叩き合いを制して優勝

そして有馬記念では
一周目で進路が塞がり後方に後退するという厳しい競馬を克服

馬群を割って直線の坂を駆け上がるとメイショウドトウをハナ差で抑え
この年「古馬中〜長距離G1完全制覇」という圧倒的な成績を収めた

この01年は
文句なしの満票で年度代表馬の座を獲得

無傷の重賞8連勝
G1・5連勝という成績自体も素晴らしいが

2000mから3200mまで馬場の良否を問わず
自在な脚質で制した点にもこの馬の「強さ」が見て取れた

また
ややパワー型と見られていた中
京都大賞典では上がり33秒3の脚を繰り出し瞬発力勝負でも勝利を収めており
まさに「万能」と言える大活躍であった

翌年も現役を続けたテイエムオペラオーは
大阪杯4着で連勝こそ途切れたものの

天皇賞(春)でまたもメイショウドトウを下し
天皇賞3連覇

G1・6連勝という偉業を達成した

しかしこれが最後のG1勝利となり
その後はメイショウドトウやアグネスデジタル
そしてジャングルポケット、マンハッタンカフェの引き立て役となっていった

しかし
引退レースとなった有馬記念5着以外は連対を重ね
獲得賞金18億円余りは歴代最高

数多くの記録を残したテイエムオペラオーは
引退後の04年に顕彰馬に選出

「殿堂入り」を果たしたのだった

  
【13】

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初代ゆるべろす (2023年09月04日 12時34分)




マヤノトップガン


多くの場合
ステイヤーは遅咲きである

そして
ある日を境にして一気に上昇曲線を描き
頂点へと上り詰める

マヤノトップガンも
まさにそんなタイプの競走馬だった

デビューは3歳1月
この時点でも馬体は成長しきっておらず
マヤノトップガンはダート戦ばかりを使われることになる

5着に終わった新馬戦以後
5月までの成績は
3着、3着、1着、3着、3着、1着

ターフはサンデーサイレンスの初年度産駒であるジェニュインが皐月賞を

タヤスツヨシが日本ダービーを制して沸いていたが
まだマヤノトップガンは「ダートで着を拾っている馬」に過ぎなかった

ところが夏を迎え
芝を走れるだけの基礎体力を身につけたマヤノトップガンは
たちまち素質の高さを示すようになる

900万下特別を勝ち
神戸新聞杯と京都新聞杯でも連続2着をキープ
一気に菊花賞戦線の有力馬の位置に躍り出た

まさに突如の飛躍
その勢いは本番・菊花賞でも持続した

好位を悠々と追走したマヤノトップガンは
4コーナーで早くも先頭に並びかけ
直線では後続を突き放してみせる

スタミナあふれるステイヤーならではの強気のレースぶりだ

結局
先行各馬はマヤノトップガンについていくことはできず

後方からトウカイパレスとホッカイルソーが追い込んできたものの
時すでに遅し

マヤノトップガンは2着に1馬身4分の1差をつけて
クラシック3冠目・菊花賞のタイトルを手にしたのであった

それだけにとどまらない
暮れの有馬記念にも出走したマヤノトップガンは
前年の三冠馬ナリタブライアン
女傑ヒシアマゾン
秋の天皇賞を勝ったサクラチトセオー
宝塚記念2着のタイキブリザードら

古馬の一線級を相手に逃げ切り勝ちを演じてみせた

数か月前にはコツコツとダート条件戦を走っていた馬が頂点を極めたのである

古馬になってからもマヤノトップガンは
一流の成績を残した

阪神大賞典では
それまで調子を落としていたナリタブライアンが復活を見せこれとマッチレースを演じての2着

天皇賞・春ではマークされる展開となって5着に敗れたが
宝塚記念では堂々と抜け出して3つ目のGIタイトルを手にする

秋シーズンには
サクラローレル
マーベラスサンデー
バブルガムフェローらと好勝負を繰り広げてファンを沸かせた

そして5歳
阪神大賞典では59kgを背負いながら一気にマクって
さらに2着を3馬身半も突き放すレースで快勝

天皇賞・春では
勝利目前のサクラローレルを瞬時にして交わす豪脚を披露し
従来のレコードを2秒以上も縮める3分14秒4の好タイムで制覇

ダート1200mで現役生活を始めた馬が
芝の3000mGIを制し
3200mでも圧勝

その上昇カーブを誰が想像できただろうか

 
【12】

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初代ゆるべろす (2023年09月03日 17時11分)




サクラローレル


栄光の陰には挫折あり

競馬の世界
あるいは1頭の競走馬だけをとってみても
栄光と挫折は常に隣り合わせである

しかし
サクラローレルほど挫折を繰り返しながら栄冠を勝ち取った名馬はそう多くはないだろう

その1回目の挫折はいきなり初戦から訪れる

94年の1月
大器との評判を集め圧倒的な1番人気を背負って3歳新馬戦でデビューしたサクラローレルだったが
後方をついてまわっただけの9着に敗退

折り返しの新馬戦3着後
3戦目の未勝利戦を勝ち上がったものの
500万条件でも後の安田記念馬・タイキブリザードに敗れるなど
2勝目を挙げるにはさらに3戦を要した

さらに
7戦目の青葉賞でエアダブリンの3着となり
ようやく大器の片鱗を見せたかと思えば
脚部不安を発症して日本ダービーを回避

サクラローレルの競走生活は
とても順調とは言い難いスタートだった

秋を迎えても
同期のナリタブライアンが三冠を達成する中
サクラローレルは条件戦を勝ちあぐねていた

しかし
菊花賞が終わるのを待っていたかのようにサクラローレルは本領を発揮し始める

900万から翌年の金杯まで3連勝

目黒記念では2着に敗れたものの
春の天皇賞へ向けて大きな期待が広がっていった

ところが
またも不運が訪れた

追い切りで両前脚骨折という重傷を負い
天皇賞どころか競走馬生命すら絶たれようかという危機に瀕してしまった

故障によって夢が絶たれた馬は数多く
サクラローレルも
この骨折で多くのファンが「もはやこれまでか」と思った

しかし
関係者は決して諦めていなかった

懸命の治療の甲斐あって
翌年の中山記念で復帰を果たすと
鮮やかな差し切り勝ちで復活

待ちに待ったG1への道が開かれた

迎えた天皇賞(春)は
やはり前走の阪神大賞典で復活を果たしたナリタブライアン
そしてそこで死闘を演じたマヤノトップガンの再戦ムード
サクラローレルは単勝14.5倍の離れた3番人気に過ぎなかったが
早めに動いた人気両馬の末脚が直線で鈍る中
これまでの苦難などなかったことのように楽々と突き抜け
ついに頂点を極めた

この年はさらに有馬記念でマーベラスサンデー以下を下しG1・2勝

期待された大器が
ついにその評価に見合う年度代表馬という称号を獲得した

この活躍で
いよいよ超一流馬への道を登り詰めるかと思われたが
翌97年は春の天皇賞2着後

凱旋門賞参戦を目指して出走したフォア賞で故障を発生

サクラローレルは
その競走生活の最後まで不運に見舞われてしまった

しかし
挫折があるからこそ栄光はより輝いて見えることもある

サクラローレルは間違いなくそんな1頭だった

 
【11】

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初代ゆるべろす (2023年09月03日 10時40分)




キョウエイマーチ


マイラーの武器といえば
1600mを緩みなく乗り切る豊かなスピード

あるいは鮮やかな瞬発力で混戦を差し切るタイプも多い

そんな中
1997年の桜花賞馬キョウエイマーチは
パワーを持ち味としたユニークな存在だったといえるのではないだろうか

父はダンシングブレーヴ
英2000ギニーやキングジョージ
凱旋門賞などを制した1980年代の名馬

深くて重いといわれる欧州の芝で数々のビッグレースを制し
しかも稍重や重馬場でもたびたび好走しているように
類稀なるパワーの持ち主だった

母インターシャルマンは
ダートで4勝をあげた馬

母の父ブレイヴェストローマンは帝王賞勝ち馬オサイチブレベストなどダートの強豪を数多く輩出
当時を代表するパワー血統として知られていた種牡馬

その血は娘にも確かに受け継がれ
キョウエイマーチはダート1200m戦で「大差」勝ちという圧倒的なデビューを飾ったのだった

続く500万下特別
芝1600mの千両賞では3着に敗れたものの

明けて3歳初戦
ダートに戻った寒梅賞では10馬身差の逃げ切り勝ち

あらためて凄まじいまでのパワーを見せつけることに成功する

ふたたび芝に挑んだのがエルフィンS
千両賞で敗れた相手ホッコービューティに1番人気を譲ったものの
稍重の馬場にも助けられて今回は半馬身差勝利で雪辱を果たす

さらに報知杯4歳牝馬特別では
阪神3歳牝馬S2着のシーズプリンセスを7馬身もちぎり捨てて
そのパワーが良馬場でも通用することを証明してみせた

そうして臨んだのが第57回桜花賞

最大の敵は
前年の2歳女王メジロドーベル

両馬の一騎打ちムードで開幕したこのレースは
いともあっけなく決着を見る

降り続く雨
芝コンディションは不良の発表
並のマイラーならひるんでしまう条件で
パワーあふれるキョウエイマーチは駆けた

果敢に逃げるのはミニスカート
大外18番枠からスタートしたキョウエイマーチは
引っ張り切れないほどの手ごたえで並びかけていく

馬場を考えればかなり速いラップだったが
直線に入ってもキョウエイマーチの脚色は衰えず
逆に後続をみるみる引き離していった

大外からメジロドーベルも意地を見せて追い込んできたものの
これに4馬身という決定的な差をつけて
キョウエイマーチは桜の女王の座をつかんだのだった

オークスでは距離がこたえたか
得意の道悪にも関わらず11着に敗れたキョウエイマーチだが
秋は秋華賞2着
マイルCSではタイキシャトルの2着などと力をアピール

古馬になってからも
フェブラリーS5着
阪急杯制覇
南部杯2着
京都金杯は5馬身差1着など
長きに渡って一線で活躍し続けた

その源はパワー
どんな馬場でも苦にしないパワーが
キョウエイマーチの体内にはあふれていたはずである

 
【10】

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初代ゆるべろす (2023年09月03日 04時10分)




ステイゴールド


大舞台での優勝に縁がなく
2着(銀メダル)や3着(銅メダル)を繰り返す

そんな存在をスポーツの世界では“シルバーコレクター”“ブロンズコレクター”などと呼ぶ

ステイゴールドがまさにそんな馬だった

二冠馬サニーブライアンやマイル王タイキシャトルらと同じ1994年生まれのステイゴールド

父サンデーサイレンス
伯父にサッカーボーイがいるという血統はそれなりに期待を集めたが

デビューは2歳12月
初勝利は3歳の5月と
同世代の中では頭角を現したのが遅い部類に属すといえる

未勝利脱出に続いて500万下も勝ち
秋には900万下も勝ってなんとか菊花賞出走を果たしたが
8着という目立たぬ成績

以後も勝ちあぐね
1998年・4歳を迎えた時点では準オープン馬に過ぎなかった


ダイヤモンドSで2着となってから
この馬の「銀と銅のコレクション人生」が幕を開けることになる

まずは天皇賞(春)で
メジロブライトの2着

宝塚記念ではサイレンススズカを4分の3馬身差まで追い詰めての2着

天皇賞(秋)でもオフサイドトラップの2着となり
有馬記念では3着

重賞勝利のないまま
すっかり古馬中長距離路線の安定勢力として認知され
愛されるようにもなったステイゴールドは
1999年の5歳時も我が道を往く

春は日経賞
金鯱賞
鳴尾記念
宝塚記念で3着
秋は天皇賞で2着

さらに6歳になってもコレクションを増やし
アメリカジョッキーCCが2着
京都記念3着
日経賞2着

あのダイヤモンドS以降の重賞成績は
2着7回
3着7回という鮮やかなコレクターぶり

ようやく金メダル=重賞タイトルを手にしたのは
6歳の春
目黒記念でのこと

2着・3着がこの馬の指定席と思い込んでいたファンは
驚きと喜びとを半々に抱きながら
そのゴールを見守った

重賞初制覇を果たしたステイゴールドだったが
以後は掲示板を外す機会が増えていく

しかしこれは
ステイゴールドが“海外仕様”へとモデルチェンジを果たす助走期間だったのかも知れない

明けて7歳となった2001年
初戦の日経新春杯をあっさりと勝って重賞2勝目をあげたステイゴールドは
果敢にドバイへと遠征

後に全米芝チャンピオンに輝くファンタスティックライト
アーリントンミリオンを勝つシルヴァノらを押さえ
ドバイ・シーマ・クラシックを制した

さらにその年の暮れ
引退レースとして選ばれた
香港ヴァーズも強烈な差し脚で勝利

なんと「日本産・日本調教馬による初の海外G1制覇」を成し遂げてみせる

あれほど勝ち切れないレースを続けた馬が達成した大偉業

こうしてステイゴールドは
記憶にも記録にも残る馬として
競馬史にその名を刻んだ

 
【9】

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初代ゆるべろす (2023年09月02日 22時29分)




メジロドーベル


中央競馬で3歳時から
6年連続重賞制覇という
空前絶後の記録を残した馬といえばドウカンヤシマ

では
4年連続でJRA賞を重賞した馬は?

4年もの長くに渡って頂点に立ち続けるなど並大抵のことではないが
それを成し遂げたのが牝馬G1で5勝を挙げたメジロドーベル

メジロドーベルのデビューは96年

新馬戦を快勝し
2戦目の新潟3歳Sこそ5着に敗れたが
サフラン賞
そして牡馬相手のいちょうSを連勝

阪神3歳牝馬Sではシーキングザパールに1番人気を譲ったものの
中団追走から鮮やかに差し切って重賞初制覇を飾り
この勝利でまずひとつ目

最優秀3歳牝馬(当時)のタイトルを手中にした

ところが
年明け初戦のチューリップ賞3着で連勝が止まり

桜花賞ではキョウエイマーチに4馬身差をつけられる2着に敗退

メジロドーベルが見せた前年秋の勢いは途絶え
4連勝を飾ったキョウエイマーチが世代トップの座を手にしたかと思われた

しかし
続くオークスでメジロドーベルは東京2400mの舞台を味方に逆襲を見せる

中団やや後方を追走すると
直線でキョウエイマーチが距離の壁に阻まれて失速するのを尻目に
馬場の中央から豪快な伸び脚を繰り出して完勝

対戦成績を1勝1敗とし
ラスト1冠
秋華賞で最優秀4歳牝馬の座を争うこととなった

秋初戦はメジロドーベルがオールカマーで古馬を一蹴

一方のキョウエイマーチもローズSを制して秋華賞は2強ムード

4コーナー手前で先頭に立ったキョウエイマーチを目標に外から進出したメジロドーベルは
残り100mでこれを捕らえると
そのまま2馬身半突き抜ける圧勝

この後マイル路線を進むキョウエイマーチとの最後の対決で完勝を収め
再び世代の頂点の座を掴み取ったのだった

こうして
同世代の牝馬同士では頂点を極めたメジロドーベル

しかし
翌年はひとつ年上の女傑エアグルーヴとの対決が待っていた

翌年のメジロドーベルは苦戦が続き
優勝は牝馬同士の府中牝馬Sのみ

迎えたエリザベス女王杯では
牡馬相手に好走を重ねていたエアグルーヴが断然人気となり
メジロドーベルの劣勢ムードは否めなかった

しかし
ここ一番では文句なしの強さを見せたのがメジロドーベルという馬

外を回ったエアグルーヴが伸びを欠く中
狭いラチ沿いから上がり33秒5の豪脚を繰り出し見事に優勝

この勝利で
3つ目となる最優秀5歳以上牝馬のタイトルを獲得した

翌年も現役を続行したメジロドーベルは
連覇を賭けてエリザベス女王杯に出走する

この年は故障もあって2戦未勝利と状況は厳しかったが 
この苦境も乗り越えフサイチエアデール以下に快勝

4年連続G1制覇
そして再び最優秀5歳以上牝馬に輝き
4年連続JRA賞受賞という快挙を成し遂げた

この一戦を最後に引退したメジロドーベル

惜しむらくは牝馬三冠を逃したことだが
それに優るとも劣らぬ輝かしい成績を残した名牝である

 
【8】

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初代ゆるべろす (2023年09月02日 20時26分)





マチカネフクキタル


マチカネフクキタルの父はクリスタルグリッターズ

仏GIのイスパーン賞を連覇した馬で
公営の雄アブクマポーロやサファイヤS勝ち馬アルファキュートなどを出した中堅種牡馬

母はアテナトウショウ
二冠馬コダマや桜花賞馬シスタートウショウなどを出した名牝系の出身

それなりに芯の通った血統ではあったが
マチカネフクキタルの生誕は1994年

デビューは1996年
サンデーサイレンス産駒が次々と重賞を制し
トニービン
ブライアンズタイムと並んで“三大種牡馬”と呼ばれたのも束の間
早くも一強時代へと進み始めた頃

だから
マチカネフクキタルに対する注目度はさして高くなかった

事実
初勝利をあげたのはようやく3戦目

500万下を2戦で突破し
プリンシパルS2着でなんとか日本ダービー出走権を手にしたものの
本番では11番人気
結果も7着というものだった

振り返れば
新馬戦で敗れた相手は後の桜花賞馬キョウエイマーチ

プリンシパルSではサイレンススズカに屈し

日本ダービーでは
サニーブライアンの逃げ切りを許している

“速さ”に勝るライバルたちには
どうしても届かなかった

だが
その裏返しがマチカネフクキタルの持ち味といえた

すなわち
成長力とスタミナ

3歳7月の900万下・さくらんぼSを3馬身差で勝利したマチカネフクキタルは

そこから素質を開花させて栄光への階段を駆け上がっていく

神戸新聞杯は強烈な直線一気
サイレンススズカを差して1馬身4分の1突き放し
重賞初制覇を果たす

続く京都新聞杯も強い内容で
中団から差し脚を伸ばすと
古馬相手に好走していたパルスビート
日本ダービー3着のメジロブライトやステイゴールドらを降して重賞連覇を成し遂げ
完全本格化をうかがわせた

そして迎えたのが
1997年・第58回菊花賞

日本ダービー2着
秋初戦の京都大賞典ではダンスパートナーら古馬勢を一蹴したシルクジャスティスが1番人気に推され

メジロブライトが2番人気
マチカネフクキタルは3番人気という順


重賞連覇で自信を得たマチカネフクキタルは
力強いレースで勝利をつかみ取ることになる

好スタートを切ったマチカネフクキタルは
鞍上・南井克巳騎手にガッチリと手綱を引かれて控えると
逃げたテイエムトップダンら先行勢を好位〜中団の内で追走する

3コーナーでは外からシルクジャスティスとメジロブライトが進出していったが
慌てずに末脚をためたマチカネフクキタルは
そのパワーを直線で爆発させた

馬群を割っての差し切り勝ち
激しい2着争いに1馬身差をつける完勝のゴール

伸び悩んだ春の雪辱を
成長力とスタミナで果たした
4連勝での戴冠だった


  
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